類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

2017-01-01から1年間の記事一覧

元箱根の石仏群(箱根町)

今年最後の記事にふさわしいネタとなりました。話は今年の11月の下旬のこと。ふと気になった箱根町の元箱根の石仏群を見に行ってきました。 この石仏群は、芦之湯から元箱根へ向かう国道1号線現道(箱根国道)沿いにある中世の貴重かつ、優れた石仏・石塔…

阿弥陀堂の大板碑と足利基氏の塁跡(東松山市)

これは埼玉時代の末期の話。もうすでに埼玉の職場の退任が決まり、3月の退職までの空虚な時間を過ごすのみとなった今年の1月のことだった。私が歴史好きだと知っていた職場の先輩から「この前、仕事で行った先に『足利なんとかの屋敷跡』みたいのがあった…

円覚寺国宝舎利殿の特別公開

11月3日は文化の日で、例年この頃に鎌倉の円覚寺や建長寺では「宝物風入れ」と称して、寺宝の特別公開をします。この宝物風入れ自体は、過去に何回か見に行ったことがあるのですが、円覚寺でこれにあわせて行われる国宝舎利殿の特別拝観に行ったことがありま…

土屋一族の墓(平塚市)【後編】

土屋一族の墓から再び元来た道を戻って、山道を北に進むとやがて住宅地に向かって開けた場所に出た。ここには現在、土屋城址の案内板が立っている。 この丘陵上一帯が土屋一族の住んでいた館の跡付近だと考えられているが、宅地造成等で往時のおもかげはほと…

土屋一族の墓(平塚市)【中編】

平塚市の光明寺を出発し、いよいよ土屋氏の本領があった平塚市土屋地区に向かう。土屋は平塚といってもかなり内陸で、地理的にはほとんど秦野に近い。神奈川大学の湘南ひらつかキャンパスが所在しているものの、周囲はなだらかな丘陵が広がり、自然が豊かで…

土屋一族の墓(平塚市)【前編】

鎌倉時代を生きた武士に、土屋義清という御家人がいた。彼は頼朝の挙兵に当初から付き従った鎌倉幕府の古参御家人、岡崎義実の子である。彼は土屋宗遠の養子に入ったため、土屋を名乗り、最初平氏に仕えたものの、頼朝挙兵に応じて以降は幕府に仕えた。彼の…

日向地区の彼岸花(伊勢原市)

9月も中盤から終盤へ差し掛かる昨今。自分は実はこの9月から11月に至る秋がとても好きです。毎年何かと憂鬱なことが多いこの時期なのですが、秋の美しい日本の光景はどこへ行っても自分のそんな暗い気分を慰めてくれます。 特にこの9月中旬は彼岸花が盛…

稲泉寺(木島平村)

お盆休みは北信濃に咲き誇る蓮を見に、木島平村の稲泉寺(とうせんじ)というお寺に行ってきました。稲泉寺は曹洞宗のお寺で、境内には何か所も蓮池があり、様々な品種の蓮が見ごろを迎えていました。 なぜか突然「蓮を見たい」と思い、有名な埼玉・行田の行…

最近見た映画

地元のTSUTAYAが9月末まで改装工事のため休業中。そのため、最近DVDを借りるには、渋谷TSUTAYAまで行かなければならない。それにつけても最近の渋谷TSUTAYAはレジの混雑が慢性化。ブースはいっぱいあるのに、人員が足りてない感じ。最近はGYAO!やAmazonプラ…

洒水の滝(山北町)

これはまだ6月の話。久々の平日休みを利用した近場ドライブに行きました。とりあえず近場でいいから温泉に行きたいと思い、以前から気になっていた山北町の町立温泉に行こうと思い、東名を一路西へ進みます。平日なので道路はスイスイ。大井松田ICまでス…

ニッコウキスゲの丘

ようやく仕事も少し落ち着いてきた先の夏の連休は、蓼科高原へ今が見ごろのニッコウキスゲを見に行った。混雑を予想して早朝に着くようにしたが、甘かった。午前7時の段階ですでに一番の見ごろの車山肩の駐車場は満車で入れず。少し下った路肩の駐車場から…

霞ヶ浦の旅

お久しぶりです。この3月に3年半勤めた職場を退職し、4月から都内の別の仕事場に勤務をしております。前の職場は埼玉県だったので、埼玉で3年ほど一人暮らしをしておりましたが、職場が都内に移ったのを機に、住居も都内の実家に戻りました。 今まで引っ…

忍野八海(忍野村)

忍草浅間神社を参拝した後は自転車を神社に置いて、歩いて忍野八海へ。自転車を置いて行ったのは、止める場所がなさそうだったから。忍野八海というのは、昔から名前は知っていたが、詳しくは知らなかった。富士山が世界遺産になったことにあわせて、昨今よ…

日々の食事 その3

新年一発目の自炊は、ラーメンからスタート。野菜味噌ラーメン。

甲斐善光寺(甲府市)

日本における信仰は固有の宗教(仏教、神道、修験道などなど・・・)に対する信仰や、その中の仏なり神なりへの崇拝を超越して、個別の寺社に対する信仰も各地で見られる。ここまで来ると宗教体系の一部というより、もはや民間信仰といった方が説明しやすい…