類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

土屋一族の墓(平塚市)【前編】

鎌倉時代を生きた武士に、土屋義清という御家人がいた。彼は頼朝の挙兵に当初から付き従った鎌倉幕府の古参御家人岡崎義実の子である。彼は土屋宗遠の養子に入ったため、土屋を名乗り、最初平氏に仕えたものの、頼朝挙兵に応じて以降は幕府に仕えた。彼の生涯はほとんどのところが記録に残されていない。彼は建保元年(1213)の和田義盛の乱で敗死し、その生涯を閉じる。ただ、その命を散らす間際の勇猛な戦いぶりだけが、後世の人々に記憶されることとなった。 行こか鎌倉、戻ろか土屋 思い乱れるる杜鵑山(とけいざん)・・・ とあるホームページに載っていたこんな歌に心を惹かれ、土屋義清が生きた旧地を訪ねたいと思ったのは、今年の春頃のことであった。

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職場が嫌すぎて、最近は休みの日は毎日現実逃避でどこかに出かけています。そんなこんなで憂鬱な日曜日シリーズ。 諸々の用事があり、東名を町田インターで下りて、保土ヶ谷バイパスへ。 下川井インターの渋滞につかまる。IMG_2549.JPG

 

この渋滞は本線路肩までつながるヘビーな出口渋滞であったが・・・ pet.JPG

 

実際は東京方面への中原街道への信号待ちの列。 IMG_2551.JPG

 

従って茅ヶ崎市方面へはすんなり曲がれた。 hyoushiki.JPG

 

所用があって寄った綾瀬市マルエツで・・・ IMG_2552.JPG

 

絶滅寸前のハンバーガーチェーン発見。 domdom.JPG

 

買ってみようとしたが、案の定、閉店してた。というか、まさに閉店作業をしていた。こういう偽マクドナルド的なチェーンは好きだったのになぁ…

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

相模川を渡る。厚木市内で建設中の新東名高速道路はすでに相模川を渡った模様。

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途中、平塚市金目の光明寺に立ち寄る。 IMG_2561.JPG

 

仁王門をくぐると・・・ IMG_2562.JPG

 

重要文化財観音堂がある。 IMG_2580.JPG

 

光明寺は坂東33か所の7番札所である。伝承によれば大宝2年(702)に海女が海中から観音像を得て、僧がここに安置したのが始まりという。『吾妻鏡』にも登場する古刹で、頼朝による帰依も受け、寺領を寄進されている。 なお、本堂堂内は撮影禁止なのだが、本堂内陣と外陣を隔てる格子の上の欄間に以下の写真のような彫刻があった。

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※写真は小田原市の勝福寺のもの

 

これは迦陵頻伽(かりょうびんが)といって、有翼で上半身が人間の女性、下半身が鳥の架空の生き物である。仏の浄土に住み、美しい声で鳴くというが、写真のように音楽を奏でている姿も多い。小田原の勝福寺に同じような彫刻があったので、寺院の欄間彫刻としては珍しいものではないのかもしれない。 ただ、薄暗い堂内で見るそれはどこか不気味な感がある(勝福寺のものもそうだった)。だが、なぜかその雰囲気に異常に惹かれてしまう。 ・・・というわけで、お叱り覚悟で写真を撮ってしまった。

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何が美しいって、この退色の具合である。もし艶やかな色彩で塗られていたら、この迦陵頻伽たちにさほどの魅力は感じなかったであろう。ただ、信仰に彩られた長い時間が作り出したこの色の褪せ方が、いっそう堂内を魅力的なものにしていた。 他にも光明寺は、本堂内の厨子(本尊安置)が国の重要文化財に指定されている。ただし、これは格子の奥の内陣にあり、暗い堂内ではよく見えなかった。 また、観音堂以外にも木造金剛力士立像と梵鐘が県指定の有形文化財である。 他に木造の観音三十三応現身立像(平塚市指定重要文化財)も室町時代初期の製作とみられ、この寺は中世以来の遺物や古文書を多数抱える平塚随一の古刹だ。 静かな境内を堪能。

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寺の裏側というか、表側というべきか・・・ともかく南側には金目川が流れる。 IMG_2556.JPG

光明寺で静かな時間を終えると、さらに車を西へ向け、土屋へ向かいます。

(つづく)