類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

久遠寺その3(身延町)

しかし、そうは言ってもこの日は平日である。先述のジイサン、バアサンたちの団体を除いては人はまばらだった。私はひとり、他の人たちがはけるのを待ってから、奥の院(思親閣)へと向かった。身延の山中で晩年を過ごした日蓮。ここは彼が遠く故郷の安房・小湊の方を向いて、両親や師のことを思って追慕した地であることから思親閣と名付けられている。

まず迎えるのは仁王門である。近世の造営で域内からの移転らしい。

中にいたのは仁王さんだったか。日蓮宗の場合はこういう総門は二天門であることも多いが。

続いて祖師堂。奥の院にもまた祖師堂があるわけである。壇下の祖師堂と様式は似ている。向拝の唐破風はないけれども。

この建物(祖師堂)のことを思親閣と呼んでいるようだ。

こちらは開基堂。

なお、写真右側に自動車が見える。それも普通自動車。どうやらここまでロープウェイ以外にも自動車が通れる道があるようだ。

▲こちらの建物(大孝殿)などは信徒の利用の他、山務員の宿舎にもなっているようだ。いい感じの鄙びた感じが素晴らしい。こんなところに泊まってみたいものだと思った。

ロープウェイの乗り場近く以外にもいくつか展望台がある。この東側展望台には誰も人がいなかった。

日蓮も好んだ富士山の姿が見える。とは言え、身延を取り巻く山々に隔てられ、その頭を少し出しているだけである。おまけにたなびく雲が前にあってすっきりとは見えない。それでも雄大な富士の姿はやはり神聖である。

この日蓮も、この空気の中で富士の姿を見ていたのだ。

ロープウェイで下る前に、北側に行き七面山の遥拝所からその姿を望んだ。

形としてはまるで丘のような形をした山だ。

身延の裏山とて、法華経そして身延山久遠寺の守護者・七面大明神の棲む山として往古より信仰を集めた。

現在でも登拝する人は絶えず、登山道と山上には宿坊が点在する。

 

さて、それでは帰りますか。帰りもジイサン、バアサン連中と一緒だったが、今度は富士山側を陣取れた。

宿願だった身延山への参拝を果たすことができた。

しかし、例によっていろいろ宿題は残った。またいつかここには来ることもあろう。

(おわり)