類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

久遠寺その2(身延町)

さてさて、287段もの菩提梯を登りきると、そこは壇上にあまたの伽藍が建ち並ぶ。久遠寺の前身となろう日蓮が晩年を過ごした草庵の跡はここではない。ここに伽藍が建立されたのは室町時代頃で主導したのは、関東では眼病に霊験あらたかとしてよく知られている日朝である。鎌倉幕府には敵対的であった日蓮宗ではあるが、その後の戦国大名・武田氏や江戸幕府の徳川氏からは帰依を受け、日蓮宗の最高の霊地として君臨している。正面にあるのが本堂で…

その横に巨大な祖師堂が並んでたっていた。

祖師堂の用材はもともと江戸にあった感応寺のものであり、同寺が天保の改革の折に廃寺になってから、用材は鎌倉・比企ヶ谷の妙本寺に送られ、それが後に久遠寺の祖師堂に用いられた。明治14年(1881)の再建である。

なかなか巨大な堂宇である。脇にある本堂は昭和60年(1985)、後で見る五重塔は平成20年(2008)の建立であるから、さておいて、明治期にこれだけ巨大な堂宇を山上に建てるのはなかなか大変であったろう。

「棲神閣」との名称があるが、屋根の妻のところにいる鬼がどこかユーモラスでかわいい。

前出の通り、五重塔は平成期のものである。

さて、階段を登って疲れたので、自販機でジュースを買ってから本堂脇より奥へ進む。

ここからは身延山ロープウェイを使って身延山の山頂にある奥の院を目指そう。

 

ロープウェイに乗って奥へ陣取って富士山の姿を見ようとしたら、変なジジイが無言で押してきて気づいたら私は反対側に押しやられていた

それでいて自分たちはいいポジションを確保して、綺麗な紅葉や富士山の姿に歓声をあげている。

 

平日の昼間とあってロープウェイの中はそんなジイサンとバアサンしかいなかったが、自分はあんな年寄りにはならないようにしよう。

それとも年寄りになるとみんなそうなっちゃうのかな?

職場でもおじいさん連中は本当に使えなくて、コンピューターとかもぜんぜん扱えなくて、いちいちなんでもかんでも聞いてきて、本当に困ったものだが、どうせ自分もいずれ若者にそう思われる時期が来ると思うと、なんも言えないし、なんか切ない。

 

そんなこんなで身延山頂。富士山はすっかり雲隠れ。

山の向こうに頭を出しているはずの富士山の姿が見えないのは少し残念だ。

だけど、さっきのジイサン、バアサンたちは「雲が邪魔だ!」とか言っている。

まあまあ別におかしなことを言っているわけではないが、さっきのロープウェイ事件があっただけに「雲に対して失礼である!」と思いたくなる

ただ眼下なる富士川沿いの景色は形容しがたい美しさであった。(自分も含めて)醜い人の心に対し、自然だけはただただ優美で気品高い。

「日本一の暴れ川」富士川に並んで山側に走ってきた中部横断自動車道の高架橋が一部見えている。

富士川を挟んで奥側が塩之沢の集落で、手前側は波木井である。富士川に沿って身延線が走っている。身延町の中心集落やかつて訪ねた大野は画面右側、すなわち南側にあたる。

 

さて、それではここから奥の院・報恩閣へ向かおう。

(つづく)
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