私は昔から、日蓮宗の信仰が強いエリアを「日蓮宗地帯」と呼んでいる。北陸地方の「真宗王国」の類義語としてである。私が思う日蓮宗地帯は、まず鎌倉。鎌倉に数ある寺院の中でも、日蓮宗の寺は一番多いし、獅子吼(ししく)の「辻説法」で日蓮の教学が花開いた舞台は鎌倉であった。次に千葉県である。ここは日蓮の出身地、安房の小湊を中心に布教が行われ、中山の法華経寺などの日蓮宗にとって重要な寺院が多くある。さらに日蓮隠遁の地であり、総本山の身延山を中心とした山梨県。こういった地域が私の想定する「日蓮宗地帯」であった。
ところが意外な「日蓮宗地帯」が存在した。それが静岡県だ。それも日蓮が『立正安国論』提出後の最初の流罪にあった際の配流先、伊東ではなく、富士の山麓、富士市・富士宮市である。 富士山麓と日蓮の活動は、まったく接点がないわけではないが、かといって鎌倉や房総のような濃厚な関わりがあるわけでもない。 にも関わらず、新宗教も含めた門派・分派の日蓮宗系寺院がたくさん存在しているのだ。 この中で今回は前々から行きたいと思っていた富士山麓の日蓮宗寺院の一つ、岩本山の実相寺に行ってみることにした。
◆Part.1 富士川サービスエリア
というわけで、日曜日久しぶりの遠出。 この日は午前中、用事があったので出足はだいぶ遅め。1時頃に東名富士川サービスエリアに到着。 4月まで続く東名のリフレッシュ工事のため、沼津から先がなんと対面通行。 当然、一車線になれば交通集中で速度が低下。 静岡方面へ急ぐ人は当然のように、御殿場JCTで新東名へ迂回していた。 自分も新東名を使えばよかった、と思いつつも富士川サービスエリアのスマートICを使いたかったため、東名に乗り続けたのが失敗だった。 富士川サービスエリア。なお、河川名も自治体名もサービスエリア名もすべて読みは「ふじかわ」である。
「ふじがわ」と濁りたくなる。たぶん多くの人が誤読しているであろう。 ここのサービスエリアはとにかく充実している。静岡方面へ抜ける際には必ずここで休憩をとる。 スターバックスもあるが、なんとこのスターバックスは、富士山がバックに聳える、絶景のポジショニングである。
…だけど、スターバックスは高いので私は自販機ココアで我慢。
下りのサービスエリアはとにかく景勝地。
まず、急流で名高い富士川と富士山がセットで見ることができる。目指す岩本山も左に写っている。 右に目を移すと、愛鷹山。
そして南へ目を向けると、富士市街地が見える。
富士宮とともに製紙で名を成す富士市。サービスエリアの展望台からは製紙工場の煙が見える。
すきだす紙の年にます、国家の富もいくばくぞ 「製紙・パルプの富士・富士宮」と中学生の時習ったが、現在は衰退が進んでいるらしい。 午前中の用事とここまでの運転で疲れて、ここでしばらく寝たので、さらに時間を使ってしまい、午後2時頃、ようやく富士川スマートICを出た。
◆Part.2 実相寺到着物語
スマートICを出て、旧富士川町から富士川を渡った富士市街へ抜けたのはよかったが、そこからカーナビが迷走。 細い道、細い道を進ませやがる。 本当はもっと簡単な道があったはずだが… だけど、迷っていたらいつの間にか着いた、といういつものパターンで実相寺到着。
ここでかろうじて富士山とセットで総門を撮ることができた。
富士市ではどこからでも富士山を見ることができる。
ここで参道沿いの看板を読みながら、実相寺の由緒を見てみよう。
岩本山実相寺
由緒
当山は近衛天皇の久安元年(一一四五)に、鳥羽法皇が比叡山・横川の智印法印に命じて建立されたもので、謂わば勅願の霊岳(れいざん)でありました。
創立された当初の寺域は、古い縁起書によって見ると境地一里とあり、諸堂悉く完備し天台密教の巨刹として、日本国内にあまねく知られていたようであります。
これより以前、智証大師(円珍)が唐(中国)から刻唐本の一切経二本を招来しており一蔵を近江の三井寺、残る一蔵を当山の山上に開創と同時に安置したので、旧(ふる)い時代より一切経を格護した名刹として、人々から渇仰(かつごう)されておりました。
岩本入蔵と安国論建白
鎌倉時代に入って正嘉・正元の頃、天変地夭(てんぺんちよう)・飢饉疾病が相ついで人々を悩まし、兵革の乱も依然として治まる気配もなく、すでに三上皇が臣下のために島流しの刑にあうなど、下剋上の風潮は顕著なものがあり、やがては他国によってわが国土を侵されるというきざしも見えないわけではありませんでした。これらは大集経(だいしゅうきょう)・薬師経・仁王経(にんのうきょう)・金光明経などに予言されていたことですが、宗祖大聖人は日増しに悪化してゆくこのような情勢をふかく憂慮せられ、さらに釈尊の真意を確かめようとして当山の経蔵に入り、諸経典の秘奥を探ること二年、遂に<立正安国論>の構想が成り、文応元年七月十六日、宿谷光則を介して執権・北条時頼に公文上書し、幕府の政道を直諫(ちょくがん)されたのですが、大聖人の意見と主張は採り挙げられませんでした。
すなわち実相寺はもともとは天台宗の寺で、円珍が唐より持ち帰った一切経(大蔵経とも。お経の全集のこと)を有する古刹であったという。
山門
実相寺の一切経蔵には、日蓮が『立正安国論』を書く際に籠ったという伝承があるのだ。
鐘楼
日蓮伝記のなかでは「岩本入蔵」と呼ばれるこの実相寺での生活は二年に及んだというが、どの本にも「…と伝える」とあるので、「岩本入蔵」はおそらく史料的な裏付けができない、もしくはあまり詳細がわかっていないものとみられる。 だけど、日蓮が実相寺にいたことを積極的に否定する理由もなさそうだから、事実なのであろう。
なお、日蓮が実相寺に入った縁は、当時の実相寺の学頭・智海法印が日蓮の比叡山時代の友人であったから、とされ、彼の改宗によって実相寺は日蓮宗になったという。
妙法堂。民間信仰の堂のようだ。
◆Part.3 日蓮教学はカルト?
なお、先ほどの由緒を書いた看板の説明書きはややオーバーなものの、現在の実相寺も往時を偲ばせるように、立派な伽藍が数多くあり、境内も広い。後背地は岩本山で、ハイキングコースになっており、境内は意外なほどに人通りが多い。
それにしても、日蓮が代表作である『立正安国論』を書いたのがこの地であるというのであるから、日蓮宗にとって大事な寺であるはずだ。
だが、日蓮の教えというのは、要するに「法華経の教えが釈尊の本当の教えであり、それ以外の教えを信じている奴は地獄に堕ちるぞ!」というもので、既存の伝統宗派や鎌倉幕府の体制を批判したのであるから、現代的な感覚で考えると、ほとんどカルトである。 江戸時代の幕藩体制下、「日本の宗旨を信じているものは地獄に堕ち、キリシタンだけが救われる」と同じようなことを言った日本のキリスト教徒たちは、江戸幕府に徹底的に弾圧されたことを考えてみても、日蓮に対する鎌倉幕府や伝統宗派の攻撃は当然のものだ。 法然や親鸞だって同じような目には遭っている。だが、日蓮の場合は「教えを広める者は、難に遭う」という法華経の一節から、苦境に陥れば陥るほど自信を深めてしまっただけ、非常にキャラが濃い。
ただ、国を愁い、名もなき庶民たちの救いを情熱的に求め続けた点は、顕彰されるべきものだ、ということなのだろうか。「正しい教えを!」というそのひたむきさも、「安国」を願う、すなわち「国難」を憂う、という点で日蓮は近代の国家主義に相容れられたのであろうか。明治期には元寇の舞台となった博多に日蓮の巨大な銅像が建てられ、大正時代に日蓮は大正天皇より「立正大師」の諡号をもらっている。 なお、明治末期に政府によって、北条時宗や少弐資時、宗助国らのいわゆる「元弘殉難者」への贈位が行われているが、私は最近、これが非常に気になっている。 「立正大師」という日蓮への贈諡号もこの流れに関係しているのではないか。あるいは関係ないのか…
◆Part.4 一切経蔵へ
いくつかに分かれた平場を段々と上がっていくと、やがて寄棟造の祖師堂に到達する。
その祖師堂後方に、日蓮が籠ったという一切経蔵が現在も残されている。
富士市教育委員会設置の説明板に詳しい解説があった。【画像クリックで拡大】
なぜ日蓮が『立正安国論』執筆の際、この経蔵に籠ったかと言えば、当然、自らの理論を裏付けするために経典の勉強が必要であったからであろう。 一切経は大蔵経とも呼ばれ、仏教典籍の総称である。いわば仏教研究に必要不可欠な仏教全集とでも言うべきか。 そんな大事で重要な本をまとめ、なおかつこれを印刷して出版しようという一大事業は、まず中国(北宋)で始まった。漢訳大蔵経の宋版は1239年に完成している。ただ、同様の事業は朝鮮でも行われ、こちらは1236年に刊行された。 日本では一切経の刊行は、その企てはあったものの、中世を通して実現することはなかった。このため、中世は日宋貿易や日朝貿易などでこれら北宋や朝鮮で刊行された一切経が日本に輸入されていた。 実相寺にあった一切経も、中国から輸入された印刷の一切経であったのだ。 なお、一切経の刊行がはじめて実現したのは近世で、これが解説板にある「天海版」のことである。
入母屋造の土蔵のような漆喰が塗られた堂であった。
当然、日蓮が籠った往時の建物ではないのだが、解説板に気になる説明があった。
それは向拝(ごばい)にあるこの七福神の彫刻が近世期のものであるというのだ。
ただ、堂自体はかなり新しいように見える。下手したら近代の建築ではないか。
ちなみに私が愛読している小説『日蓮』に出てくる実相寺の一切経蔵の写真は瓦葺であった。
おそらく修築が繰り返されているか、彫刻のみが古く、建物自体は後補なのかも。
◆Part.5 次は花が咲く頃に…
菅公の歌にちなんでか社前には梅の木が。
しかし、まだ少し早かったようだ。
咲いたらさぞかし綺麗だろうし、天神様の前の梅など、何とも絵になる。次は是非、花の咲く頃に来たいものだ。
何だかんだ言って私は日蓮が好きだ。そもそも鎌倉の町で生まれ育ったので、自分にとって日蓮宗のお寺や日蓮関係の史跡は身近な存在だったし、鎌倉に残る日蓮の伝承もたくさん知っていた。 日蓮には何かと奇跡関係の話が多い。実は日蓮に限らず、高僧にはそういった類の話はつきものだが、日蓮はその奇跡がとかくクローズアップされるので目立つ。 だが、よくよく考えてみると日蓮って、おそらく頭はすごく良い人で、あとすごいまじめな人だったんだと思う。完璧主義者で、正義感が強かったんだろう。 独特で、強烈で、個性が強くて、頑固で。 でも、つきあってみるとすごく優しくて、穏やか。 昔から自分の日蓮のイメージはそういったものだった。 実相寺はすばらしいお寺であった。 これからも日蓮の足跡は追っていきたいと思う。
◆おまけ
帰りは対面通行区間を避けるため新東名へ。
猪瀬ポールの2車線区間。
最初、新東名が部分開通した際、3車線分あるのに2車線運用なのは、開通している区間が静岡県内のみなので、暫定運用なのだと思っていた。 「バカの壁」を取っ払った人が、「バカのポール」を立てちゃったわけね。 この後、建設された愛知県区間と、現在建設中の神奈川県区間は最初から2車線で作ってるんだとか。 はいはい、どうせ渋滞対策で後で拡幅することになるんでしょ? 東名を補う新東名なんだから、全部3車線であるべきだと私は思います。 ま、そんな猪瀬氏の失脚は痛快だった。 帰りは足柄サービスエリア。
ほぼ休日恒例の厚木IC~海老名JCT付近の事故渋滞に備えて(?)、車内で食べる食料(マック)を購入。
そこで買ったホットレモンティーなのだが…
お湯が入っているだけだった… ティーバッグとレモンを自分で入れます。 なお、Mサイズを頼んだからティーバッグは2つ。 しかも、渋滞で止まっちゃったらハンバーガー食べようと思ったら、意外とそんなに止まらなかったという…
【おわり】