類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

元禄津波供養塔(茂原市)

久しぶりに平日休みに遠出をした。前日までどこに行こうか悩み続け、結局、千葉県にした。相変わらず仕事の悩みがつきない中、そんな現実を忘れるために、車で行ける手軽な田舎を選んだのだった。

我が家から房総半島の中部に向かうのに一番手っ取り早い手段は東京湾アクアラインを渡ることだ。

アクアライン自体は昔、友達の車で走ったことがあるが、ここパーキングエリア「海ほたる」に上陸したのは今回が初めてであった。

そこから木更津を経て房総半島中央部に車を進める。途中、寄り道しながら着いたのは茂原市にある鷲山寺じゅせんじという寺だった。

鷲山寺法華宗(本門流)の大本山である。

日蓮系の宗派で、有名どころだと京都の本能寺がこの宗派の大本山にあたる。千葉県ではたまにお目にかかる宗派だ。以前訪れた長生村本興寺もこの宗派である。

法華宗(本門流)大本山鷲山寺じゅせんじ由来
鷲山寺は 日蓮大聖人を開基 日弁聖人を開山とする。
日蓮大聖人は 小松原法難(一二六四)の後、鷲巣の領主小早川内記の招きに応じ 当地にて一夏九旬の間修行された
その後 日蓮大聖人の命により 日弁聖人は小早川氏の寄進を得て鷲巣に鷲山寺を建立した(一二七七)
徳川三代将軍家光公より寺社領を拝受 十万石大名の待遇を受け七堂伽藍を備え 「関東法華の棟梁」と称され 隆盛を誇った
第二十七世日誠上人は 正親町おおぎま ち三条大納言の猶子(養子)となり十六弁菊花白紋五條袈裟を下賜され 更に有栖川官家の祈願所となる

当山は「霊験あらたかな御祖師様」として人々の信仰を集め 信仰による病気平癒の寺として 難病に苦しむ人々が多数祈願に訪れた

開山日弁聖人の「開山忌」は 鷲巣の「ケエサンキ」とよばれ大勢の人が集い 当地では最も人出の多い行事として名をはせた

元禄十六年(一七〇三) 関東一円に発生した「元禄大地震」は大きな被害をもたらし 上総地方(千葉)では九十九里を中心として溺死者が二一五四人を数えたという
死者を弔うために 多くの供養塔が各地に建てられたが 当境内に祀られている「津波供養塔」は 茂原市指定文化財になっている

なぜか句読点を一切使わない不思議な案内板…

「聖人」と「上人」の使い分けも気になる。

 

それはそうと案内板の最後の文章に書いてあったのが、元禄地震(元禄16年(1703)11月22日発生)津波の犠牲者を弔うための供養塔である。

これが現在、鷲山寺の本堂の石段左下に立っている。

茂原市教育委員会による立て札。

茂原市指定有形文化財
元禄津波供養塔〔所在地 茂原市鷲巣四八 昭和五十二年十月二十二日指定〕
元禄十六年(一七〇三)十一月二十二日夜丑の刻(午前二時頃)安房の東南海底を震源地とする大地震が起こり、翌未明に大津波が襲来した。
この地震津波は、千葉県内各地に大被害を及ぼした。特に津波による犠牲者は夷隅・長生・山武の海岸一帯で数千名と言われている。
鷲山寺は南部九十九里一帯に多くの信徒をもつゆえか、元禄津波の供養塔が参道入口に建立された。(交通事情により本堂前に移されている)
茂原市、長生郡内に津波碑や供養塚は数基あるが、碑文の内容、碑の大きさに最もすぐれているのがこの碑である。
平成二十四年三月十五日
茂原市教育委員会

碑文は正面に「南無妙法蓮華経」と髭題目で書かれている。

その下に書かれた▼は何かよくわからない。たぶん花押なんだろう。この題目を書いた僧侶の名と花押が刻まれているっぽい。

その他、左側面に「天下和順 日月晴明」「開山 日弁聖人 長国山鷲山寺」とある。

「天下和順……」は無量寿経にある文句である。さらに下に「施主 門中男女」と続く。

右側面には「元禄十六年〔癸未〕歳十一月廿二日夜〔丑刻〕大地震東海激浪溺死都合二千百五拾余人死亡…」とある(日の当たり方と写真の関係上、死亡より下が読み取れなかった)。

裏側にも何か書いてあった。

「維時 寶暦三〔癸酉〕十一月…」とあった(例によって写真が切れてしまっていて下部が読み取れない)。宝暦3年は1753年で地震による津波被害からちょうど50年目のことであった。

基壇部分には各地での犠牲者の数が書かれている。お供えがあったりして写真での解読はやや難しい(というより摩耗で難しい部分もあるようだ)。しかし、50年後とは言え、被害の様子を記す大変貴重な史料だ。

この基壇部に書いてあるものを翻刻したものはあるのだろうか。

千葉県の県史(『千葉県の歴史』)などに載っているといいのだが……

鷲山寺自体はこじんまりとしたお寺だった。しかし、隣接する日蓮宗の藻原寺とともにここら辺には子院を含め日蓮系のお寺が密集しているようだ。

 

房総半島一帯の太平洋側(一部、鋸南町のような内房にも)には元禄地震津波被害を伝える供養塔が各地に点在している。以前訪ねた長生村の本興寺の津波供養碑もそうだ。それらは30を超えるという(参考:千葉日報)。また伊豆半島は今の伊東市にも元禄地震津波の供養塔が残る。しかし、神奈川では元禄地震津波の供養碑はあまり聞かない。元禄地震津波に限って、その分布をマッピングなどし、書かれている内容などから被害状況を推察すれば、この地震の被害区域がある程度は明らかになるのであろうか。

こういった本当は大網白里市方面などにも繰り出してもう一つ、津波供養碑を見ようと思ったが、諸所の事情から断念。もう少し効率よく回れるようになるといいな。

(終わり)

【参考文献】

九十九里一帯に30超 元禄津波の慰霊碑 【おもしろ半島ちばの地理再発見 千葉地理学会連載】(千葉日報)

元禄地震(防災誌)(千葉県)