類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

信州駒ヶ根・光前寺

長野県は伊那地方、駒ケ根市にある天台宗宝積山(ほうしゃくざん)光前寺は、うっそうとした木々に囲まれた境内にある立派な本堂が見ものです。本尊は不動明王、開山は本聖上人で、寺伝によれば貞観2年(860年)の創建と伝えられています。霊犬早太郎の伝説で知られています。 IMG_8315.JPG

 

光前寺へは、中央自動車道駒ヶ根インターチェンジから車で、だいたい5分ほどで着きます。 入り口付近は土産物店などが並び、結構賑わっていましたが、中に入ると森に囲まれたその雰囲気に圧倒されます。 IMG_8288.JPG IMG_8289.JPG IMG_8290.JPG

本堂は、幕末のものですが、非常に立派です。 IMG_8292.JPG

入母屋唐破風造りの本堂。こけら葺きなのもいい感じです。このスタイルは長野県に多いように感じられます。 IMG_8300.JPG

一度は行ってみたかった光前寺。前々から行きたい行きたいと思っていましたが、やっと来ることができました。 IMG_8304.JPG

このお寺を知ったのは、遠州見付(現在の静岡県磐田市見付)に伝わる早太郎伝説がきっかけでした。 IMG_8299.JPG

 

関連ページ 静岡に行ってきた2(矢奈比賣神社) 早太郎伝説を以下に紹介します。

むかし、むかし。
信濃の国(今の長野県)の伊那郡上穂(うわぶ)の里の光前寺(こうぜんじ)に、1匹の山犬がやってきて5匹の子犬を生みました。
光前寺の和尚さんは、母犬と子犬たちのために食べ物を運んでやりました。
しばらくすると、母犬は4匹の子犬を連れて、山へ帰って生きました。

「ほう、お前はこの寺に残れと言われたんじゃな」

和尚さんは、残された1匹の子犬を見て言いました。
寺に残った子犬は、すばしっこいので「早太郎」と名づけられました。
和尚さんに育てられた早太郎は、立派に育ち、とても賢く、勇猛な山犬となりました。

ところ変わって、ここは遠江の国見付の村(今の磐田市見付)。
この村には、ある悲しい風習がありました。
それは毎年、祭りの日に見付天神社に娘を人身御供として献上するのです。
そうしなければ、田畑が荒らされてしまうからでした。

この年も一人の娘が、神様の人身御供となるのでした。
しかし、その時、通りがかった旅の僧、一実坊弁存(いちじつぼうべんぞん)は疑問に思うことがありました。

「はて、神様がそんな悪いことをするだろうか」

弁存は、そう思うと、ひそかに御神前に隠れて、神様の正体を見てやろうと思いました。

祭りの日の夜、娘は白い木の箱に入れられて、御神前に供えられました。
箱が置かれ、誰もいなくなると、弁存は、木の陰から御神前の様子を窺いました。
すると・・・
なんということでしょう。大きな怪物が3匹現れ、娘が入った箱に寄ってきました。

(大変だ!皆が神様だと思っていたのは、怪物だったのだ。これでは娘が食べられてしまう!)

弁存は思いました。
しかし、相手は大きな怪物。どうすることもできません。
そうしているうちに怪物は、何かを唱え始めました。

怪物A 「今宵、早太郎はおるまいな・・・」
怪物B 「信州、信濃の早太郎・・・早太郎は恐ろしや・・・」
怪物C 「早太郎には知られるな・・・ヒヒヒ・・・」

そう言うかと思うと、怪物はとうとう娘をさらってしまいました。

弁存は、思いました。

(これは大変だ。神様と思っていたのは、怪物だったのだ。しかも、その怪物は信州の早太郎という人が恐ろしいらしい。さっそく信州へ行って、早太郎さんを見つけてこなければ!)

弁存は、急ぎ信州へ向かいました。

弁存は、広い信州のあちこちを尋ね廻り、早太郎を探しました。しかし、なかなか見つかりません。
とうとう伊那郡上穂の里まで来たとき、光前寺に、早太郎がいることをつかみました。
上穂の里にたどりついた弁存は、光前寺の和尚さんに早太郎のことを聞きました。

和尚さん 「早太郎はおる。うちの寺におる山犬じゃよ」
弁存 「い、いぬ!?」

探し求めていた早太郎が、山犬と聞いて弁存はびっくり。しかし、和尚さんにつれてこられた早太郎は、とても勇猛で賢そうな山犬でしたので、弁存は、すぐに遠州見付村での出来事を話し、和尚さんに早太郎を借りたいと申し出ました。
和尚さんは、その話を聞いて気の毒がり、すぐに早太郎に言い聞かせました。

和尚さん 「早太郎・・・しっかり、怪物を退治してくるのだぞ!」
早太郎 「ワン!」

早太郎は、頼もしく一声吠えると、すぐに弁存とともに遠州・見付村へ向かいました。

さてさて、遠州見付村。今年もあの忌まわしい祭りの日がやってきました。
今年も人身御供の娘が用意され、村人たちは悲しみに暮れていました。
しかし、神様の言うこと。
田畑が荒らされては困るので、村人たちは泣く泣く同じように娘を差し出すことにしました。

そこへ駆けつけた弁存と早太郎。
弁存は、村人たちに成り行きを説明します。
村人たちは、不安がりましたが、とうとう今年は娘の代わりに早太郎を箱に入れて、お供えすることに同意しました。
お祭りの夜、早太郎の入った箱が御神前へ供えられました。
弁存と村人たちは、早太郎にあとを任せて、村に帰りました。

さてさて、何も知らない怪物が、いつもと同じように箱にやってきました。

怪物A 「ヒヒヒ・・今年も早太郎は来てないな・・・」
怪物B 「信州、信濃の早太郎・・・早太郎は恐ろしや・・・」
怪物C 「早太郎にこのことは知られぬな。それ食うぞ、食うぞ、娘を食うぞ。ヒヒヒ・・・」

そうした時でした。
箱から飛び出した早太郎。
勇ましく怪物に飛び掛かります。

怪物A・B・C 「ぎゃあ!早太郎じゃ!恐ろしい!」

怪物と早太郎の恐ろしい決闘の声が暗い闇にこだましました。
弁存と村人たちはガタガタ震えながら、朝を待ちました。

翌朝、太陽が昇ると同時に弁存と村人たちは一目散に見付天神へ向かいました。
すると、御神前にはヒヒ(猿の妖怪)が3匹、倒れて死んでいました。

村人たち 「こいつらが、わしらの娘を・・・」

神様のしわざと信じていた村人たちは、愕然としました。

弁存 「早太郎は?早太郎はどこじゃ!」

弁存は怪物を倒した早太郎の身を案じました。
村人たちもいっせいに早太郎を探しはじめました。
しかし、早太郎はどこにもいません。

その頃、早太郎は懸命に歩いていました。
朝日に照らされたその身体は、戦いに傷つき、ボロボロでした。
それでも早太郎は、懸命に歩きました。
生まれ育った信濃の国へ・・・

そして、ようやく光前寺にたどり着くと、和尚さんに「ワン」と吠えて、戦果を報告しました。

和尚さん 「そうか・・・早太郎、よくやった・・・よくやった・・・」

和尚さんに抱きかかえられ、甘えるようにじゃれついた早太郎は、まもなく息を引き取りました。
和尚さんは、早太郎の遺骸を本堂横の境内に手厚く葬りました。
早太郎は、こうして永い眠りにつきました。

あとから追いついた弁存は、早太郎の功績をたたえ、その供養のために大般若経を写経し、光前寺に奉納しました。このお経はいまでも光前寺に残されています。

遠州見付の村を救った早太郎は、その後も見付の人びとの心に残り、そのため光前寺のある長野県駒ケ根市と、見付の村がある静岡県磐田市は友好都市となっています。

めでたし、めでたし。

今も光前寺には早太郎の像やお墓があります。 IMG_8302.JPG IMG_8297.JPG IMG_8298.JPG

早太郎伝説の解説板。【クリックで拡大可能】 IMG_8301.JPG

また三重塔前にも早太郎の像がありました。 IMG_8320.JPG IMG_8319.JPG

経蔵。早太郎供養のためのお経はここにあるのでしょうか? IMG_8308.JPG

こちらは山門。 IMG_8311.JPG

しかし、光前寺参拝で気づいてしまったのは、伊那地方の魅力です。 IMG_8322.JPG

今回は光前寺など少ししか見て回ることができなかったのですが、伊那地方には他にもいろいろな見どころがいっぱいあるようです。 そして、伊那の向こう側に広がる塩尻や木曽もまた魅力的。 いやぁ、長野県っていいところですね・・・ ここ数年は、ほぼ毎年長野に行っていますが、まだまだ長野の魅力はつきません。 そんな長野は冬は寒いということで、冬に行くのには冬タイヤが必要です。 というわけで、冬の長野に行ったことはなかったのですが・・・今年はとうとうスタッドレスタイヤの購入を決断しました。 こうして今年の秋と冬、再び長野に出かけてこようと思っています。