類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

静岡に行ってきた2(矢奈比賣神社)

牧之原SAをあとにした私たちは、磐田ICで東名高速道路を降り、磐田市見付(みつけ)にある矢奈比賣神社(やなひめじんじゃ)へ向かいました。矢奈比賣神社は、創建の由来などは詳しくはわかっていませんが、相殿に菅原道真(天神さま)を祀り、見付天神の通称で知られています また、奇祭として知られる裸祭は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。 IMG_6944.JPG 南側の道から神社の前まで車を進め、最初の鳥居を抜けて坂道を上がると、神社の参拝者用駐車場があります。 IMG_6976.JPG また、神社は磐田市つつじ公園に隣接しているため、公園各所にある駐車場にも駐車可能です。 正面に本殿があります。 IMG_6941.JPG 境内には「見付天神」の幟(のぼり)がはためきます。 IMG_6942.JPG 本殿は権現造りでしょうかね。 IMG_6950.JPG さっそくお参りです。 IMG_6945.JPG この神社に来たのは、ここに伝わる次の話に興味を覚えたからです。 ちょっと紹介したいと思います。
むかし、むかし。
信濃の国(今の長野県)の伊那郡上穂(うわぶ)の里の光前寺(こうぜんじ)に、1匹の山犬がやってきて5匹の子犬を生みました。
光前寺の和尚さんは、母犬と子犬たちのために食べ物を運んでやりました。
しばらくすると、母犬は4匹の子犬を連れて、山へ帰って生きました。

「ほう、お前はこの寺に残れと言われたんじゃな」

和尚さんは、残された1匹の子犬を見て言いました。
寺に残った子犬は、すばしっこいので「早太郎」と名づけられました。
和尚さんに育てられた早太郎は、立派に育ち、とても賢く、勇猛な山犬となりました。

ところ変わって、ここは遠江の国見付の村(今の磐田市見付)。
この村には、ある悲しい風習がありました。
それは毎年、祭りの日に見付天神社に娘を人身御供として献上するのです。
そうしなければ、田畑が荒らされてしまうからでした。

この年も一人の娘が、神様の人身御供となるのでした。
しかし、その時、通りがかった旅の僧、一実坊弁存(いちじつぼうべんぞん)は疑問に思うことがありました。

「はて、神様がそんな悪いことをするだろうか」

弁存は、そう思うと、ひそかに御神前に隠れて、神様の正体を見てやろうと思いました。

祭りの日の夜、娘は白い木の箱に入れられて、御神前に供えられました。
箱が置かれ、誰もいなくなると、弁存は、木の陰から御神前の様子を窺いました。
すると・・・
なんということでしょう。大きな怪物が3匹現れ、娘が入った箱に寄ってきました。

(大変だ!皆が神様だと思っていたのは、怪物だったのだ。これでは娘が食べられてしまう!)

弁存は思いました。
しかし、相手は大きな怪物。どうすることもできません。
そうしているうちに怪物は、何かを唱え始めました。

怪物A 「今宵、早太郎はおるまいな・・・」
怪物B 「信州、信濃の早太郎・・・早太郎は恐ろしや・・・」
怪物C 「早太郎には知られるな・・・ヒヒヒ・・・」

そう言うかと思うと、怪物はとうとう娘をさらってしまいました。

弁存は、思いました。

(これは大変だ。神様と思っていたのは、怪物だったのだ。しかも、その怪物は信州の早太郎という人が恐ろしいらしい。さっそく信州へ行って、早太郎さんを見つけてこなければ!)

弁存は、急ぎ信州へ向かいました。

弁存は、広い信州のあちこちを尋ね廻り、早太郎を探しました。しかし、なかなか見つかりません。
とうとう伊那郡上穂の里まで来たとき、光前寺に、早太郎がいることをつかみました。
上穂の里にたどりついた弁存は、光前寺の和尚さんに早太郎のことを聞きました。

和尚さん 「早太郎はおる。うちの寺におる山犬じゃよ」
弁存 「い、いぬ!?」

探し求めていた早太郎が、山犬と聞いて弁存はびっくり。しかし、和尚さんにつれてこられた早太郎は、とても勇猛で賢そうな山犬でしたので、弁存は、すぐに遠州見付村での出来事を話し、和尚さんに早太郎を借りたいと申し出ました。
和尚さんは、その話を聞いて気の毒がり、すぐに早太郎に言い聞かせました。

和尚さん 「早太郎・・・しっかり、怪物を退治してくるのだぞ!」
早太郎 「ワン!」

早太郎は、頼もしく一声吠えると、すぐに弁存とともに遠州・見付村へ向かいました。

さてさて、遠州見付村。今年もあの忌まわしい祭りの日がやってきました。
今年も人身御供の娘が用意され、村人たちは悲しみに暮れていました。
しかし、神様の言うこと。
田畑が荒らされては困るので、村人たちは泣く泣く同じように娘を差し出すことにしました。

そこへ駆けつけた弁存と早太郎。
弁存は、村人たちに成り行きを説明します。
村人たちは、不安がりましたが、とうとう今年は娘の代わりに早太郎を箱に入れて、お供えすることに同意しました。
お祭りの夜、早太郎の入った箱が御神前へ供えられました。
弁存と村人たちは、早太郎にあとを任せて、村に帰りました。

さてさて、何も知らない怪物が、いつもと同じように箱にやってきました。

怪物A 「ヒヒヒ・・今年も早太郎は来てないな・・・」
怪物B 「信州、信濃の早太郎・・・早太郎は恐ろしや・・・」
怪物C 「早太郎にこのことは知られぬな。それ食うぞ、食うぞ、娘を食うぞ。ヒヒヒ・・・」

そうした時でした。
箱から飛び出した早太郎。
勇ましく怪物に飛び掛かります。

怪物A・B・C 「ぎゃあ!早太郎じゃ!恐ろしい!」

怪物と早太郎の恐ろしい決闘の声が暗い闇にこだましました。
弁存と村人たちはガタガタ震えながら、朝を待ちました。

翌朝、太陽が昇ると同時に弁存と村人たちは一目散に見付天神へ向かいました。
すると、御神前にはヒヒ(猿の妖怪)が3匹、倒れて死んでいました。

村人たち 「こいつらが、わしらの娘を・・・」

神様のしわざと信じていた村人たちは、愕然としました。

弁存 「早太郎は?早太郎はどこじゃ!」

弁存は怪物を倒した早太郎の身を案じました。
村人たちもいっせいに早太郎を探しはじめました。
しかし、早太郎はどこにもいません。

その頃、早太郎は懸命に歩いていました。
朝日に照らされたその身体は、戦いに傷つき、ボロボロでした。
それでも早太郎は、懸命に歩きました。
生まれ育った信濃の国へ・・・

そして、ようやく光前寺にたどり着くと、和尚さんに「ワン」と吠えて、戦果を報告しました。

和尚さん 「そうか・・・早太郎、よくやった・・・よくやった・・・」

和尚さんに抱きかかえられ、甘えるようにじゃれついた早太郎は、まもなく息を引き取りました。
和尚さんは、早太郎の遺骸を本堂横の境内に手厚く葬りました。
早太郎は、こうして永い眠りにつきました。

あとから追いついた弁存は、早太郎の功績をたたえ、その供養のために大般若経を写経し、光前寺に奉納しました。このお経はいまでも光前寺に残されています。

遠州見付の村を救った早太郎は、その後も見付の人びとの心に残り、そのため光前寺のある長野県駒ケ根市と、見付の村がある静岡県磐田市は友好都市となっています。

めでたし、めでたし。

こんなお話です。 自分から弱点を言っちゃう妖怪たち。 そして 見付の天神様は、いったい何をやってるのめちゃくちゃ御神前が無法地帯じゃないですか といったツッコミは、ともかく、実はこの怪物退治の山犬の民話は、「早太郎」の他、「しっぺい太郎」とか言われて、長野県南部(いわゆる南信、伊那)や静岡県天竜川流域に多く伝えられています。 ※伝説の紹介は、矢奈比賣神社のホームページ磐田市のホームページでも読むことができます。 面白いのが犬の名前は、見付側ではもっぱら「しっぺい太郎」と呼ばれ、光前寺では「早太郎」と呼ばれているところです。「しっぺい」の意味はよくわかりませんが、おそらく「疾風」が転訛したものと考えられ、「早太郎」と同じような意味だと思われます。 この話は実にいろいろなバリエーションがあり、弁存は旅の六部(旅の修行者)であったり、見付天神社の社僧であったりします。早太郎のお墓もいくつか別に伝わっているようです。 犬がオオカミから分化(=家畜化)したのは、だいたい1万5千年前と言われています。 最後の氷河期が終わり、新石器時代が始まった頃と考えると、犬は人類のかなり最初の文明期より、人間とともにあったことになります。 早太郎の話は、怪物退治とまではいかなくても、人間の生活とともにあり、苦楽を共にした犬の歴史を物語る民話と言えるでしょう。 さてさて授与所に行ってみると・・・ IMG_6951.JPG お札発見! IMG_6948.JPG 巫女さんに「霊犬神社のお札が欲しいんですが・・・」と伝えると出してきてくれました。800円と高いですが、ここで秩父奥多摩のオオカミ信仰系のお札に似たお札が入手できるとは思っていなかったので、ちょっと嬉しい。 IMG_7158.JPG オオカミではなく犬のようです。 IMG_7159.JPG いままで集めたお札との違いをご覧ください。 武蔵御嶽神社(東京都青梅市 宝登山神社(埼玉県長瀞町 hodosan.JPG 三峰神社(埼玉県秩父市 私のみたところ、霊犬神社のお札の絵は犬ですな。オオカミとはちょっと違います。 まあ、オオカミ信仰の各社のお札と違い、霊犬神社のお札はそんなに古くからあったものではないように感じられますが、どうなんでしょう。 本殿の後方へ進むと、しっぺい太郎を祀る霊犬神社があります。 IMG_6955.JPG 説明書き IMG_6956.JPG
霊犬神社
 当神社には、人身御供の伝説が残されております。
 正和年中(約六百六十余年前)現在の駒ケ根市光前寺より悉平太郎(しっぺいたろう)という名犬を借り受けて怪物を退治し、人身御供という悲しいならわしを断ち切り、平和な見付の町にもどしたというものです。その感謝のために当社社僧が奉納した大般若経は、現在寺宝として光前寺に保存され、磐田市駒ヶ根市友好都市(※ママ)のきずなとなっております。
 霊犬神社は、犬を祀った日本唯一の神社として、近年はペット愛好家の方々に深く崇敬されております。
 例祭日 四月十五日
境内後方は磐田市つつじ公園となっており、親子連れが目立ちました。 IMG_6959.JPG ちょうど見ごろの桜もこの通り。 IMG_6962.JPG 鳥居の前には、しっぺい太郎の銅像がありました。 IMG_6974.JPG ちなみに矢奈比賣神社では、3代目しっぺい太郎なる犬が飼われていたそうですが、2010年7月4日未明より行方不明になり、現在は死亡認定されているようです。 IMG_6969.JPG その3代目は、駒ヶ根市より贈られたしっぺい太郎2代目の子どもらしいのですが、ちょっと待て鎌倉時代の伝説の犬の3代目っておかしいやん。2代目、どんだけ長生きなんだよ。 ってことは思ってはいけません。 あくまで友好のしるしというわけでして・・・ そもそも初代、しっぺい太郎(早太郎)は一生独身だったんじゃないかと私は思っていますが・・・ まあ、でも3代目は相当高齢だったとのことで。それにしても4代目は迎え入れないんですかね? そんなこんなで最初の訪問地、見付神社は穏やかな春の気候のもと、とてものどかで良い雰囲気の神社でした。 車で通っただけですが、磐田の町もなかなか良い感じでした。 磐田の見付は、遠江国府であり、このあたりが遠江の中心だったわけですね。 現在は自動車(スズキ)やオートバイ(ヤマハ発動機)の工場が町の経済の中核を担っています。 また、「ゴン中山」こと中山雅史選手、フランスワールドカップや2000年アジアカップで活躍したレフティー・名波浩選手が所属したジュビロ磐田のホームタウンです。 (つづく) 〔関連ページ〕 ■武蔵御嶽神社に行ってきた2(オオカミのお札をもとめて)再び秩父へ行ってきた5(三峰神社2・終章)再び秩父へ行ってきた1(序章・宝登山神社)
るるぶ静岡 清水 浜名湖 富士山麓 伊豆'13 (国内シリーズ)

るるぶ静岡 清水 浜名湖 富士山麓 伊豆'13 (国内シリーズ)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ジェイティビィパブリッシング
  • 発売日: 2012/10/05
  • メディア: ムック
事典 神社の歴史と祭り

事典 神社の歴史と祭り

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2013/03/29
  • メディア: 単行本