群馬県に接する埼玉県の北部、児玉郡神川町には金鑚神社(かなさなじんじゃ)という古社があって、原始神道の名残を見せる信仰が今なお続いているとのことで、参拝に行ってきました。 金鑚神社は、現地では武蔵の二の宮を称しており、本庄市(旧児玉町も含む)などの児玉地方にはいくつか分社と思われる同名の神社が大小、点在しています。
国道462号沿いに大きな鳥居が見えるのでわかりやすい。 なお、大鳥居から国道を挟んで反対側には、かつての別当寺であった「金鑚大師」こと天台宗の大光普照寺がある。 今回は寄らなかったが。 大鳥居から参道を車で進むと、数か所駐車場あり。 一番奥の駐車場に車を止める。
どうも登山道(ハイキングコース?)の入り口でもあるらしく、駐車場には案内地図とトイレあり。
その駐車場脇に木造の古い多宝塔が見えた。
説明板。
金鑚神社多宝塔
所在地 児玉郡神川村二の宮
金鑚神社の境内にあるこの多宝塔は、三間四面のこけら葺き、宝塔(円筒形の塔身)に腰屋根がつけられた二重の塔婆である。天文三年(一五三四)に阿保郷丹荘の豪族である阿保弾正全隆が寄進したもので、真柱に「天文三甲午八月晦日、大檀那阿保弾正全隆」の墨書銘がある。
この塔は、建立年代の明確な本県有数の古建築であるとともに、阿保氏に係わる遺構であることも注目される。塔婆建築の少ない埼玉県としては貴重な建造物であり、国指定の重要文化財となっている。
昭和五十九年三月
なんと室町時代(戦国時代)の建築であった。当然ながら重文指定である。
よく保存されており、美しい多宝塔だ。
地方に残された古建築は、蝉しぐれの夏木立とよくマッチする。
いつまでも眺めていたい、そんな美しい塔であった。
神社にある仏教建築の多くは、明治初年の廃仏毀釈で失われたものが多い。 ただ、埼玉県は廃仏毀釈が比較的緩やかだったのか、神仏習合の痕跡を現在まで伝えている寺院は山間部を中心に多い。 また、こうした塔婆建築が神社に残されている例は、出羽三山などが著名であるが、埼玉にあるとは知らなかった。 なお、この多宝塔を寄進した阿保氏の拠点、阿保郷とは同じ現在の神川町域に「元安保」という地名が残されており、そこらへんが遺称地とみられる。 多宝塔から奥へ進むと、いよいよ神社の入口へ。
まずは社務所がお出迎え。いい感じの日本家屋である。
赤い橋を渡れば・・・
鳥居あり。
8月はじめの暑い日だった。まずは手水舎で手を清める。
涼しげな写真4連発。
ふと上を見上げると、和歌というか・・・俳句が奉納してあった。
神社に歌を奉納するのは珍しくはないが、なんかオシャレ。
あらためて鳥居。
手水舎から上がってくると、拝殿が横たわる。
拝殿を横から。
なお、この神社に本殿はない。御神体は後ろの山であり、ここらへんは原始神道の祭祀を色濃く残している。
同じような形態をとるものとしては、奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)などがあるが、見た感じ長野県の諏訪大社の上下社に近い形態だ。実に興味深い。 なお、現在の祭神は天照大神 (あまてらすおおかみ)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と、日本武尊(やまとたけるのみこと)であるが、かつては金鑽大明神として本地仏は弥勒菩薩であったようだ。 蔵あり。いったいどんな秘宝が眠っているのだろうか・・・
拝殿前の賽銭箱にはこんな面白いものが・・・
これは粥占(かゆうら)ないし、筒粥(つつがゆ)神事と呼ばれるものの結果である。
筒粥神事とは、神社の年初行事の一つで、粥を煮て、その中に棒を指し、ついた米粒の数でその年の農作物の豊凶を占うものだ。 ただし、やり方はいろいろあって、棒につけた粥をそのまま放置して、カビの生え方で占ったりする場合もある。 現在も各地の神社で行われるが、特に農業の神様を祀る神社が著名で、長野の諏訪大社の筒粥神事はテレ ビで時々映像が流れたりする。 表を見ると、「わせ(稲)」から麦、粟、稗、蚕から野菜までいろいろな作物の出来が示されている。 今年はどうなんだろうか・・・ 稲と麦はいい感じですかね。 この作りはとても諏訪大社っぽいね。
境内の奥へ進むと、再び蔵あり。
そこからさらに奥へ山道を登っていくと、「御嶽の鏡岩」なるものがあるという。
御嶽の鏡岩
御嶽の鏡岩は、ここから約400m登った御嶽山の中腹にあり、約30度の傾斜をもった岩面が、幅約9m、高さ約4mにわたって赤褐色に光り、わずかの日射しでもにぶく輝いている。鏡岩は約1億年前の岩断層活動の跡で、断層面ができるときに強い摩擦力で岩面が鏡のように磨き上げられたものとみられ、岩がずれた方向に幾本もの筋が通っていることがわかる。貴重な地質学資料として、1956年(昭和31年)に国の天然記念物に指定されている。
伝説によると高崎城(群馬県)が落城したとき火災の炎が明るく映ったと伝えられ、また、月の光に反射し敵の目標となることから、松明でいぶしたので赤褐色になったとも伝えられている。 この山は標高343.5mあり、尾根続きには御嶽城跡の遺構もあって、周囲の眺望にすぐれ、神流川、利根川沿いの北関東が一望できる。1983年(昭和58年)3月【2015年(平成27年)3月改修】
なるほど。 断層のズレによって、ものすごい強い力で磨かれてピカピカになったわけね・・・ それにしても1億年前ってすごいなぁ・・・ 不思議な伝説もあり、面白い。 というわけで見に行ってみよう。 ・・・が、遠い。
久しぶりのハイキング。体力の低下で汗はダラダラ、息はあがり・・・
そしてなんといっても蚊がすごかった・・・
やたら看板はあるが、なかなか辿りつかない・・・
御嶽の鏡岩
昭和三十一年七月十九日 国指定特別天然記念物御嶽の鏡岩は、約一億年前に関東平野と関東山地の境にある八王子構造線ができた時の岩断層活動のすべり面である。岩面の大きさは、高さ約四メートル、幅約九メートルと大きく、北向きで約三十度の傾斜をなしている。岩質は赤鉄石英片岩で、赤褐色に光る岩面は、強い摩擦力により磨かれて光沢を帯び、表面には岩がずれた方向に生じるさく痕がみられる。岩面の大きさや、断層の方向がわかることから地質学的に貴重な露頭となっている。
鏡岩は古くから人々に知られていたようであり、江戸時代に記された『遊歴雑記』には、鏡岩に向えば「人影顔面の皺まで明細にうつりて、恰も姿見の明鏡にむかふがごとし」とあり、『甲子夜話』にも同様の記述がある。また、鏡岩がある御嶽山の一帯は、中世の山城である御嶽城跡が所在することでも知られているが、鏡岩が敵の目標となることから、城の防備のため松明でいぶしたので赤褐色になったという伝説や、高崎城(群馬県)が落城した時には火災の炎が映ったとも伝えられている。このように鏡のように物の姿を映すということから、鏡岩といわれるようになった。
伝説だからね・・・ かなり誇張は入っているんだろうけど・・・ ・・・で、こちらがその鏡岩。
思ったより、ピカピカじゃないけど、自然の不思議さと悠久の時の流れは感じ取れる。 ただし、暑いのと、まとわりつく蚊のせいもあって、山頂にはいきませんでした。 なお、神川町の東にある児玉や本庄は、古墳や江戸時代の国学者・塙保己一の旧跡が有名であるので、今度はそちらにも出かけたいです。
(おわり)