類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

富士山をめぐるドライブに行ってきた2(富士山本宮浅間大社)

さてさて私たちはここから一路、静岡県側、富士宮浅間神社へ行くことになりました。今回は鳴沢村を経由し、本栖湖の近くを通って、朝霧高原を抜け、西富士道路で富士宮に至るルートをとりました。ありがたいことに西富士道路は去年、無料開放されています。都留や富士吉田から富士宮に至る国道139号線は、富士パノラマラインの愛称があり、鳴沢村付近までは片側2車線で整備されていますが、そこから先は1車線の山道となります。でも、それなりの交通量がありつつも、ずっと流れていたので順調に走っていけました。

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途中、本栖湖を見学しつつ休憩。 IMG_7204.JPG

本栖湖富士五湖のうち一番西側にある湖で、3番目に大きい湖です。 なお、富士五湖の大きさは、山中湖が一番大きく、次に河口湖、本栖湖、西湖、精進湖という順番です。

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本栖湖と言えば、千円札の裏に書かれている「逆さ富士」のモデルで有名ですが・・・ IMG_7201.JPG

げげ!富士山の方角ぜんぜん違う! ここから、ほぼ反対側に行かなければどう考えても富士山は湖に移りませんな。 そもそも建物などで富士山ぜんぜん見えない! というか、このブログ記事は「富士山をめぐるドライブ」なのですが、実はこの日は富士山がほとんど見えませんでした。 見えないというより、車で走行している時は見えていたのですが、止まって降りると雲に隠れていたり、建物や山で見えなかったり、なぜか富士山のツンデレーションが妙に強い一日でした。 ちなみにかつて新渡戸稲造だった頃の五千円にも、逆さ富士は描かれていました。 湖に浮かぶ富士山という描写が日本人は大好きだったんでしょうかね? ま、そんなに逆さ富士にこだわりがなかったので、反対側の展望台には行かず、本栖湖を後にし、朝霧高原を抜けて富士宮にやってきました。 ドライブシーズン、行楽日和ということもあって、交通量も多くなってきました。 途中通った道の駅朝霧高原も車ぎっしりだったので、入らず、浅間大社まで直行しました。

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浅間大社の駐車場がわからなくて、ちょっと困りましたが、看板をもとに走っていくと、なんとか有料駐車場に入れることができました。 IMG_7207.JPG

ここが富士山本宮浅間大社。言うまでもなく富士宮の地名の由来です。 IMG_7210.JPG

そして、全国の浅間神社の総本社・・・とされています。 IMG_7223.JPG

まあ、浅間神社は各地にいっぱいあって、その由来や勧請元は様々でしょう。 ただ、ここは「大宮」と呼ばれ、表富士側の浅間信仰の中心です。 その証左に、現在富士山頂にある浅間神社は、この浅間大社の奥宮です。 江戸時代には、幕府の裁定により富士山の8合目以上は浅間大社の土地になっています。 楼門です IMG_7209.JPG

社殿へ進みましょう。 IMG_7216.JPG

これがいわゆる浅間造り。高い二階層になっているのが特徴です。 IMG_7217.JPG

ところで、富士山に祀られる女神のコノハナサクヤ姫ですが、神話にこんな話があります。 むかし、アマテラスの孫のニニギノミコト高天原(たかまがはら)から地上に降りてきた時(天孫降臨)、美しいコノハナサクヤを見初め、求婚します。コノハナサクヤの父のオオヤマツミは、コノハナサクヤの姉のイワナガヒメととも差し出しますが、イワナガヒメはそんなにお美しくなかったので、ニニギノミコトは、イワナガヒメを送り返してしまいます。 それを知ったオオヤマツミは、こう言いました。 「ああ、なんと残念なことでしょう。わたしが二人を差し出したのは、イワナガヒメを妻にすれば、命は岩のように永遠になり、またコノハナサクヤを妻にすれば花が咲くように繁栄するようにと誓約したからです。しかし、あなたはコノハナサクヤだけを妻にしたので、あなたの子孫たちの命は花のようにはかないものとなるでしょう」 ・・・ということで、私たち人間には寿命ができてしまいました。 人の命が花のように儚いというのは、なんとも叙情的ですが、話としては何ともイワナガヒメが可哀想なお話です。女は顔だけがすべてじゃないのにね。 まあ、ここはイワナガヒメがあんまりにも気の毒なので、コノハナサクヤが美し過ぎて、相対的にイワナガヒメが見劣ってしまったということにしておきましょう。きっと、イワナガヒメも単独でみれば、可愛い健気な女の子であったに違いありません。 でも、大丈夫です。 そんなイワナガヒメも伊豆の大室山に立派に祀られています。 大室山も富士山に似たなだらかな稜線をもっているところがなんだか印象的です。 イワナガヒメを擁護して、富士山をけなすわけではありませんが、民俗学で有名な富士山の次の話も紹介したいと思います。

富士山と筑波山

(『常陸国風土記』より)

むかし、ある時、ある神さまがあちこちを見回っていて、富士山まで来たところで日が暮れてしまいました。
そこで神さまは富士山の神さまのところで一夜の宿を乞いました。
すると富士山の神様は

「せっかくですが、今夜は新嘗の祭(※1)の物忌み(※2)の最中ですので、泊めることはできません」

そこで神様は筑波山へ行きました。
すると筑波山の神は

「今夜は新嘗の物忌みですが、せっかく来られたのですから、さあさあ、どうぞ、お泊り下さい」

と言って、たいそうにもてなし、御馳走をしました。
神さまは非常に喜び、「この山は長く栄えて、常に人が来て遊び、楽しさの絶えない山となるであろう」と仰いました。

いま筑波山が春も秋も青々と緑が茂り、人々が多く来る楽しい山となったのはそのためで、反対に富士山が雪にとざされた暗い山になったのは、大切な神さまを物忌みだと言って帰してしまったのがその原因なのです。

※1 新嘗(にいなめ)の祭・・・秋の収穫祭のこと。11月23日とされ、明治時代以降、1947年まで国民の祝日であった。現在の勤労感謝の日である。
※2 物忌み・・・祭りや儀式などにあたり、関係する人が一定期間飲食や行動を慎み、潔斎すること。

〔参考文献〕
柳田国男「神いくさ」(『日本の伝説』、新潮文庫

まあ、筑波山側の人びとの言い伝えですけどね。 でも、結構有名ですね。 あと、伊豆の人が富士山を見れないのは、富士山を妬んだ天城山が邪魔をしているから、とか富士山はともかくも妬まれやすい山なんですな。 それにしても山と山の争いという伝承や民話は各地にあって面白いですね。 周辺には富士山からの湧水池や・・・ IMG_7224.JPG

神田川の流れなどがあり、とてもすがすがしいです。 IMG_7220.JPG

ただ、コノハナサクヤは水の神で、富士山は活火山なので、その噴火を鎮めるために祀られたという説もあります。他に山梨県側の浅間神社が湖のほとりに祀られているのも、水のパワーをもって、富士山の噴火を鎮めるためだとか・・・ ところで昨今、富士山に異変が異変がとテレビやインターネットが騒いでいます。 確かに富士山が火山である以上、いつか噴火するというのは自明のことですが、噴火の兆候というのはもっと明確にわかるということなので、いまがその時期じゃないことは確かです。 東日本大震災が起きた時、貞観地震貞観富士山大噴火をからめて、富士山が危ないとか、ヒズミがたまってるとか言われていますが、そんなこと言い出したらキリがないと思うのです。 結局、火山や地震のメカニズム、それから地底で何が起きているのか現在の技術ではほとんどわからず、何か起きたことに対して、「これが原因かもしれない、あれも原因かもしれない」と言っていたら、結局なんでもそれにあてはまってしまうでしょう。確証的で実証的でなければ学問の意味などほとんどないと思います。 ま、私はこの方面にまったく詳しくないので、素人の妄言ですけどね。 でも、そもそも地震だって、活断層活断層がってよく言いますが、この間の淡路島の地震のように未知の活断層があったらどうしようもない話なわけで、結局活断層に関係なく、どこでも地震は起こるわけです。だから原発の敷地内に活断層があったから、なかったから何なの・・・?って話なわけでして・・・ もちろん、地震学者が「そろそろ危ないねー、注意必要だねー、まあ、時期はよくわかんないけどね」というだけの学問をしている人たちのことではないとはわかっていますけどね。問題はメディアですよね。特にテレビ。不安を煽っておいて、結局なぁなぁな展開に落ち着かせるわけですから、困ったものです。それが仕事なんだから、なおさら不幸ですね。 さてさて、そんな素人の妄言はどうでもいいとして・・・ この大鳥居の右側に富士山が見えるはずが、雲がどよーん・・・

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・・・また、来いということでしょうか。 じゃ、出直してきます・・・ そんなツンデレ富士山に別れをつげ、私たちは次の目的地へ向かいました。

(つづく)

神社辞典

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 東京堂出版
  • 発売日: 1997/09
  • メディア: 単行本
 
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