これは今年の1月のこと。「艦載機の整備」を終えたこともあって、この折り畳み自転車を車に載せてどこかへ出かけたくなり、山梨県へ出かけることにしました。目指すは富士五湖エリアで、いう間でもなく富士山に対する浅間信仰が強いエリアです。
車+自転車の機動力と、浅間信仰に基づく古社寺を見る目的で、さっそく自転車を車に積み、出かけました。
お馴染みの圏央道でまずは南下。
そして、八王子JCTで中央道へ。
さらに大月JCTで富士吉田・河口湖方面へ。
車を止めるのは、道の駅「富士吉田」
とりあえずここで早めのお昼。
関東だと埼玉や群馬、そしてここ山梨などの内陸部では従来、小麦の粉食の文化が形成されてきた。
いずれも関東ローム層などのため、水田に適さない地域で、麦が多く作られ、それによって発達してきたものである。
特に山梨の富士吉田地方では、甲斐の伝統食「ほうとう」とともに、うどんがよく食べられてきた。これが今日、観光用に「吉田のうどん」と銘打たれたものである。ただし、日常食であった「ほうとう」に対して、うどんは「ハレ」の日に食卓にあがるものであったようだ。
理由は単純で「ほうとう」は本来、麺よりも一緒に煮込まれている野菜の方が多い。これは「ほうとう」が観光食となった今日でも変わらない。対して、うどんは小麦の使用料が多い、贅沢な食事にあたるわけだ。
肉うどんとかやくごはんのセット。
「吉田のうどん」は、太くて、硬くて、コシが強いのが特徴。おそらく好みが非常に分かれるであろう。
私はもうちょっと細くて、柔らかいうどんが好みかな。
うどんを食べて力をつけたら、周囲を散策。
道の駅「富士吉田」には、富士山レーダードーム館がある。
1964年から1999年まで富士山頂で稼働していた気象レーダーの記念館である。
入ってみた。
主に台風の接近を観測するため、無謀と言われた富士山頂へのレーダー建設の苦労とその成果を記念するため、役割を終えた富士山レーダーのレーダードームをここに移設し、作られた記念館である。
富士山レーダーの建設の話は、NHK番組のプロジェクトXで取り上げられた。
また、館内ではそれとは別のNHKの番組「世界最大のレーダー建設―富士山頂9000人のドラマ―」を見ることができる。
なかなか感動的で、番組のクライマックスで、ヘリコプターが山頂へのレーダードームの輸送に成功した際のシーンでは、人目を憚らず、泣いてしまった。
一人だったので、なかなか恥ずかしかった。
◆ ◇ ◆ ◇
そんなこんなで艦載機の展開へ。
組み立て、ブレーキランプのケーブル配線などを調整。そんなに時間はかからなかった。
では、この艦載機「スニーカーライト」に乗って早速、出発。
国道138号線は歩道があり、人もほとんど通らないので、ここを走れば車に轢かれる心配はなし。
このまま、まずは忍野(おしの)を目指す。
国道138号から「忍野入口」で折れて、忍野へ向けて北進。
この道は昨今整備された道とみえて、歩道も広く走りやすい。
だが、ずっと緩やかな上り傾斜で、小径車には辛い。
とは言え、1月の冷たい澄んだ空気の中、自転車を走らせるのは気持ちよかった。
ゆっくり忍野へ向かいます。
やがて歩道がなくなった。こんななけなしのグリーンベルトで、車が近くを通り怖い!
そんなこんなをしているうちに忍野が着実に近づいてきた。
目的地に到着!まずは忍草(しぼくさ)浅間神社。
社殿では大同2年(807)創建の古社である。いう間でもなく祭神は富士山の女神・コノハナサクヤ。
神社の隋神門に注目・・・
門にまつられている像である。
左右に構えるこの尊像。
忍野村のホームページ等で見ると、運慶作の金剛力士像とされているようだが、私は明らかにこれは二天(四天王のうち、増長天と広目天)だと思った。
一般的な金剛力士(仁王さま)とは姿がまるで違う。宝冠を被り、光背を背負い、甲冑を身にまとっている。
これは要するに二天門にまつられる二天の姿である。
案内看板等によると、もともとこの隋神門は、建久4年(1193)の頼朝の富士の巻狩の際に、畠山重忠と和田義盛が関東の武運長久を願い、鳥居峠に建てたもので、後に忍草浅間神社に移築されたものであるという。
運慶作とか、金剛力士像というところは、かなりあやしい。
尊名は二天であり、また鎌倉期の作品であるとは考えられない。
素人考えながら、おそらく近世の作品で、彩色等で後補がかなり入っているものと思われる。
ただ、門の格子が邪魔に思えるくらい像自体は立派で、良い形をしている。
そして、もしこの門が鳥居峠に建てられたというのが本当ならば、それはそれで興味深い。
なぜ峠に門を建てたのか、そして鳥居峠って・・・どこの?
質素な形の神門ながら、興味は非常に尽きない。
詳しく調べてみる必要がありそうだ。
そして、いずれにしても、神社に仏教の尊像が残されているということは、神仏習合の名残を色濃く残していることに変わりはない。
各地の神社を訪ねて、神仏習合の名残を諸々見つけることはあっても、二天門(仁王門)をまるごと残す神社は、これまであったかな・・・?
また、本殿もとても立派だ。
村指定重要文化財。ただし、いつ頃の建築かはわからなかった。
規模は写真で見る以上に実物は大きく、何よりその高さに驚く。
村のホームページには「桧皮葺屋根・三間社流れ造り」とあるが、屋根は現在は銅葺きのようだ。
なお、本殿には木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)・鷹飼(たかがい)・犬飼(いぬかい)の3神の坐像が祀られているという。
この神像というもの自体も神仏習合の影響で生まれたもので、ここにも神仏習合の名残を見出せる。
そして、この3神像の方は正真正銘の鎌倉時代の作品で、正和4年(1315)の作であるという。
非公開であるが、村のホームページでその尊容を拝むことができる(こちらにリンク)。
山梨県内では最古の神像である。
忍草浅間神社は、行きたい行きたいと思って、やっと行くことができ、滞在時間も長かったわりに、いろいろ撮り逃したところが多すぎた。
また、行くしかない。
(つづく)