類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

房総半島へ行ってきた2(保田妙本寺)

海鮮丼を食べた僕らは、道の駅に車を止めさせてもらい、歩き出します。 鋸南町は現在安房郡を構成する唯一の町となっています。房総半島の南部は近年の市町村合併で、だいたい鴨川と南房総にまとまってしまいました。鋸南町自体は小さな町で、海沿いにある保田と勝山という二つの集落が中心で、あとは内陸に向かって山間部となっているだけです。 さて、その鋸南町にはいくつか見てみたい寺社・史跡があるのですが、その一つが保田の吉浜にある妙本寺です。普通「保田妙本寺」や「吉浜妙本寺」という名で知られています。 ここが妙本寺の入り口です。 IMG_5266.JPG 内房線の踏切を渡るとすぐに妙本寺につきます。 IMG_5267.JPG 妙本寺の山門です。 IMG_5269.JPG 妙本寺は法華(日蓮)系の寺院ですが、現在は単立となっています。もとはこの地に建てられた法華堂がその前身で、15世紀頃より妙本寺となります。このお寺が特徴的なのは、戦国時代にこの地の戦国大名・里見氏によって寺が砦となっていることです。確かにこの吉浜の地は海を前にして、背後の山々は要害といった感じです。里見と対岸、三浦半島は相模の戦国大名、北条が戦うとこの地は戦場と化します。北条は対岸の三浦半島から船でやってきて攻め込んだのでしょう。 海との位置関係はこの通りです。非常に海に近く、それだけに海を挟んで対岸の敵地・三浦半島と接する最前線と言えますね。 IMG_5270.JPG 妙本寺の客殿には次のような立派な装飾があります。鬼瓦も立派です。 IMG_5272.JPG 境内は静かです。 IMG_5274.JPG 妙本寺の御影堂(みえいどう)です。御影堂とは祖師を祀る御堂のことを言い、真言宗などでは弘法大師空海を祀るお堂(その場合、大師堂とも言いますが)のことを指します。しかし、このような祖師を祀る御堂のことを日蓮宗では普通、祖師堂というので、この妙本寺は少し変わった例ですね。ちなみに日蓮宗では本堂よりも祖師堂の方が重要視されたり、高い位置にあったりします。 IMG_5275.JPG お寺というよりは、神社の社殿のような質素な作りですね。しかし、なんとなく河口湖畔・小立集落にある同じ日蓮宗妙法寺の本堂をミニサイズにしたような雰囲気がありますね。 IMG_5276.JPG 妙本寺には永禄2年(1559)の古辞書「いろは字」や「妙本寺年中行事」、それに「妙本寺文書」などがあります。いずれも中世以来の貴重な古文書で、房総史の研究には欠かせないものと言えるでしょう。 詳しく知りたい方は研究書ですが、 佐藤博信『中世東国日蓮宗寺院の研究』(東京大学出版会、2003年)があります。 (つづく) →房総半島へ行ってきた3(猟島と館山市沖ノ島)