房総半島へ行ってきた3(猟島と館山市沖ノ島)
鋸南町にはもう一つ有名な史跡があります。それは勝山集落の近くにある竜島にある頼朝上陸の碑です。治承4年(1180)8月、伊豆で挙兵した源頼朝は、現地の目代であった山木兼隆を討つことには成功しますが、その後、石橋山で平家方の大庭景親に敗れ、散り散りとなって真鶴から船で脱出します。頼朝は『吾妻鏡』によれば「猟島」に上陸したとされていますが、この「猟島」が現在の竜島であろうとされ、現在ここに碑があるわけです。
頼朝はこの地、房総でたくさんの味方を得て、再起し、今度は陸路で再び相模に向かいます。房総の武士団と武蔵の武士団を次々と味方にした頼朝は10月には鎌倉に入り、やがて鎌倉幕府の基盤づくりを進めていくことになるわけです。
石橋山での惨敗後、この地にたどりついた頼朝はどんな気持ちで対岸の三浦半島を見たのでしょうかね。
ただ、頼朝が房総にたどり着けなかったら、鎌倉幕府はなかったわけで・・・この房総半島が鎌倉時代という歴史の中で役割を果たしたと言えるでしょう。
さて、周知のとおり房総半島と神奈川県の三浦半島は意外と近い位置関係にあります。例えば千葉県側の富津岬と三浦半島の観音崎の間は直線距離で7キロほどしかありません。現在も横須賀市の久里浜港と富津市の金谷港の間を東京湾フェリーが結んでおり、東京湾の海上交通は今も三浦半島と房総半島をつなぐ重要な役目を果たしています。この寺のある場所も対岸の三浦半島の間口漁港までは14キロ足らずです。この日も三浦半島の影がよく見えますし、久里浜にある横須賀火力発電所の煙突もうっすらとみることができました。
その後は私たちは南の館山へ向かって車を走らせました。
館山市街地の近くにある陸繋島の沖の島というところで、車を止めます。
こんなところがあるとは知りませんでした。小さな島ですが、散策できるように整備されています。
島の裏側には小さな神社がありました。
海の水はきれいです。なぜか懐かしい遠い夏の日を思い出させてくれるような風景です。
天候はよかったのですが・・・なぜかこの日の途中から喉がおかしくなり、そこから一気に風邪をひいてしまいました。まだ完治していません。風邪が流行っているみたいですね。みなさんも気を付けて!
(おしまい)
房総半島へ行ってきた1(東京湾アクアライン~道の駅きょなん)
房総半島へ行ってきた2(保田妙本寺)