類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

河口湖の周辺に行ってきた2(勝山記の光景)

神社のある場所は勝山集落ですが、すぐ隣接して小立(こだち)集落があります。 どちらも現在は南都留郡富士河口湖町ですが、かつては勝山村でした。 IMG_4421.JPG

さて、この勝山という場所。 日本史で戦国時代の武田氏を研究している人なら誰でも知っているであろう『勝山記(かつやまき)』の舞台なのです。 『勝山記』というのは戦国時代の河口湖地方を中心とした年代記です。 564年から永禄6年(1563)までの出来事が書き綴られていますが、特に中世期の記述が詳細で、領主である武田氏や小山田氏の動向から隣国の情勢、気象、災害、飢餓、収穫などあらゆることが書かれています。 

 

私は大学学部時代、日本史を専攻していましたので、ゼミで『勝山記』を読んでいました。 それでこの日記の持つ不思議な感じ、リアルな戦国時代の一地方の様相を読んで、とてもこの世界にのめりこんだ記憶があります。 あれから何年も経ちましたが、そんな記憶に誘われるまま勝山の地にやってきました。 その『勝山記』の舞台を歩いてみましょう。 富士御室浅間神社のすぐ隣には日蓮宗の常在寺があります。このお寺も『勝山記』に登場します。

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立派な本堂と山門。境内も広いです。

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常在寺から小立の集落を歩きます。静かな集落です。 IMG_4420.JPG

さっそく迷いました。友達のスマートフォンで調べてもらって妙法寺というお寺のほうへ歩きます。

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ほどなくして妙法寺に着きました。

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『勝山記』は『妙法寺記』とも言われています。厳密に言うと『勝山記』も『妙法寺記』も写本です。つまりこの二つの写本には共通の原本があったのです。それは今はないのですが、書き写された写本のうち富士御室浅間神社に伝わった方が『勝山記』と呼ばれ、妙法寺に伝わった方が『妙法寺記』と呼ばれています。この日記は長く妙法寺の僧侶たちが書き継いだものとされてきて『妙法寺記』と呼ばれることが多かったのですが、研究が進んで『勝山記』の方の翻刻・出版も多くなってきました。どちらが原本に近いのかということは長く研究者の間で論争となっていましたが、結局はわからないというのが現状ではないでしょうか。 『勝山記』と『妙法寺記』はほぼ同内容ですが、微妙に違いがあります。『妙法寺記』の方が漢文が多い感じがしますし、その他の異同も多いようです。そこのあたりは柴辻俊六先生はじめ多くの方が研究されていますが。 妙法寺も立派な山門と本堂があります。静かな古刹です。本堂で拝んで、しばらく境内をゆっくり見て回りました。

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妙法寺の山門前からも富士山が見えます。 IMG_4431.JPG

また迷いながらもスマートフォンを頼りに進むと小道からひょいと河口湖が現れました。 道路沿いを歩いて駐車場に戻りました。 IMG_4434.JPG

次は車に戻って西湖方面へ向かいます。

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