茨城空港で味を占めた私たちは、神奈川県の
厚木基地を見に行ってきました。
厚木基地が置かれる厚木飛行場は、厚木と名乗っておきながら、実際は
大和市と
綾瀬市にまたがる地域に位置しており、東京方面から見ると、
厚木市街地よりはだいぶ手前になります。前回の
茨城空港と比べると、かなり近い、というか子どもの頃から身近な存在でしたが、飛行場本体は見たことがありませんでした。そこで前回と同じメンバーで、さっそく車に乗り込み、出発です。
厚木飛行場は、おそらく神奈川県唯一の飛行場です。もともとは
日本海軍の「
厚木海軍飛行場」として建設され、太平洋戦争末期には首都防空の要となった飛行場です。敗戦の結果、米軍に接収され、1945年8月30日、日本の占領統治を指揮する米陸軍の
ダグラス・マッカーサー元帥がC-54B輸送機で降りたったのは、この厚木飛行場でした。まさに日本の戦後がここから始まったのです。
ところが、その後の厚木飛行場は飛行場としては、あまり使われず、返還まであと一歩だったと言われています。しかし、1950年、
朝鮮戦争が勃発すると、米軍は海軍の飛行場として整備、拡大を行い、現在に至るまで米海軍の空母艦載機部隊の陸上基地となっています。1971年より
海上自衛隊の潜水艦哨戒部隊が常駐するようになり、日米共同使用の基地となりました。
厚木基地の問題点は、その他の飛行場や基地と同じく騒音や飛行機の事故の危険性の問題があることです。私も神奈川県の出身なので、米軍空母(当時は
キティホーク)が横須賀に入港する日は、地元の空をジェット戦闘機がバンバン飛んでいました。それでも私が住んでいたところは、まだいい方で、この近隣市町村(綾瀬、大和、藤沢等)は大変です。
私が衝撃を受けたのは、その後、東京に引っ越してからのことでした。ある日、神奈川に住む友達に会いに、
小田急江ノ島線に乗り、
大和駅で急行に乗り換えようと、ホームで電車を待っていた時でした。すごい爆音とともに、戦闘機の後ろ姿が駅からはっきり見えたのを記憶しています。
さらに難しい問題なのは、時折ニュースにもなりますが、夜間離着陸訓練を行うことです。昼間でさえ、耐えられそうもない爆音が夜に響き渡るのですから、これは地元の人たちにとっては、たまったものではありません。
ともあれ、近年いろいろな動きのある
厚木基地の様子を、飛行機ウォッチングを兼ねながら、見てきました。
まずは到着したのは、
厚木基地の滑走路から見て南側にある
大和市の「引地川公園ゆとりの森」です。
ここは東側に駐車場(30分まで無料。以降、有料で一日最大600円)が完備されています。
ここは滑走路の延長線上にあたり、公園内に誘導灯が設置されています。
この公園からは、
厚木基地の滑走路が見渡せます。
望遠レンズで見ると、エプロン(駐機場)で待機している海自機や米軍機を見ることが出来ます。
さっそく飛行機がやってきました。これは米海軍のE-2C
ホークアイという飛行機です。
わかりますでしょうか?上にお皿みたいなのを積んでいます。
この飛行機は早期警戒機と言って、
航空母艦(空母)の周りを飛んで、警戒にあたる飛行機で、上に積んでいるお皿みたいなのは、強力なレーダーのアンテナなのです。
これは、友達によると空母と陸上基地を結ぶ輸送機らしいです。
せっかく来た南側ポイントですが、あんまりこちら側には飛行機が来ませんでした。そこで、今度は北側のポイントへ移動します。
ここは、
相鉄線の線路を挟んで滑走路を北から南へ向かってみる形になります。
写真の柵の向こう側には、掘り下げて
相鉄線の線路があるのですが、コン
クリートの覆いがしてあります。
これは、おそらく飛行機事故から線路や電車を守るためのものと思われます。同様の覆いは、近くを走る
東名高速道路にも設けられており、渋滞スポットとして有名な「大和トンネル」として知られています。
ヘリコプターは、いっぱい飛んでいました。
これは対潜哨戒(たいせんしょうかい)ヘリコプターと言って、敵の潜水艦を捜索、攻撃するためのヘリコプターです。
航空母艦の他、
駆逐艦や
フリゲート艦にも搭載され、対潜水艦戦において非常に重要な働きをします。
東日本大震災では、米軍は「
トモダチ作戦(
Operation Tomodachi )」と称して、東京都の
横田基地に司令部を置き、24隻の艦船、189機の航空機と陸海空軍・
海兵隊の約2万人を投入して、発生直後より救助・復興支援活動を行いました。米軍部隊の活動は、
津波に襲われた
仙台空港の迅速な復旧や孤立した
気仙沼大島への救助物資の搬送などをはじめ、各所で活躍し、救助・捜索・復興に大きく寄与しました。
ここ
厚木基地のヘリコプター部隊も東北へ派遣され、各地で物資の運搬や救助・捜索活動に従事しました。
ところで、このヘリコプター、よく見てみると・・・
自動車のナンバープレートみたいのがついています。
「相模800 Y51-○」って書いてあります。
ヘリコプターは、道路を走らないので、ナンバープレートは必要ありません。
どうもこれは、何か意味があるものではなく、米兵の茶目っ気と思われます。ちゃんと
大和市・
綾瀬市のある地域の地名表示に従って「相模」、特殊車両用の「800」となっているところが、面白いですね。きっと基地内の米
軍用車両を参考にしたのでしょう。
そうこうしているうちに・・・
戦闘機がやってきた!
これは米海軍の艦載機(空母に載せる飛行機)のF/A-18E
スーパーホーネット戦闘攻撃機です。
F-14Aトムキャットの後継の米空母部隊の主力戦闘機ですが・・・
めちゃめちゃうるさい!なんか
百里のF-4よりもずっと騒音が大きい気がしました。きっとF-4ファントムなんかより、ずっと後にできた戦闘機なので、エンジンとかもパワーが大きいのでしょう。これが爆音をまき散らしていると、会話はまずできません。
しかし、この日は、案外戦闘機は飛びませんでした。私たちが見た
スーパーホーネットは、全部で5機ほどでした。
こういったヘリコプターやプロペラ機は、案外騒音も少なく、耐えられるレベルです。
(つづく)