この日は、風向きが一定せず、
自衛隊機は南へ北へ離着陸方向を変えるので、我々も北へ南へポイントを行ったり来たり。それにしても飛行機を追い求めて、慌ただしく車に乗り込み、カメラを持って、あちこち走り回る私たちの姿。他人様からみたら、「いい年して何をやってんの・・・」と思われるかもしれません(笑)。でも、男は何歳になってもかっこいいものが好きなんです。だから車とか鉄道とか、飛行機とかみんな夢中になるんです。何歳になっても・・・
この記事を読んでいる男性の方なら、きっとわかってくれますよね?(笑)
そういったわけで私たちは再び南側に来て、ファントム戦闘機などを見ます。
今度は離陸していく機体を見ます。
戦闘機は真下にいると爆音なのですが、意外と近づいてくる音は静かなのです。
友達が言うには、それまではエンジンの排気口が後ろを向いているから。つまり・・・
このように排気口が私たちの真上、そして後ろに来ると、地面が震えるほどの爆音が響きます。
ちなみに
百里基地にいるF-4ファントムの部隊は、302飛行隊と言います。
この部隊は、昭和49年(1974)に
千歳基地で編成され、昭和60年(1985)に
那覇へ移動します。平成21年(2009)に
百里の
F-15部隊と入れ替わりで当地に来ました。千歳では冷戦下の
ソ連、
那覇では中国と対峙し、日本の空を守り続けてきました。現在は、こうして
百里で首都防空を担っています。
那覇時代の302飛行隊の活動は、かつてテレビ取材されたことがあり、むかし見たことがあったのですが、例によって
Youtubeにあがっていました。
2007年7月9日放送 フジテレビFNNニュースJAPAN 「空駆ける防人 変わる使命」
これは英国製U-125救難機
いい感じ
編隊飛行をするファントム戦闘機。
今度は着陸を見ようと、北側の別スポットに移動。
夕方、そろそろ訓練が終わりなのか、ファントム戦闘機が次々と基地に戻ってきます。
このスポットは、他の人もあまりいなく、いいところでした。
U-125A救難機も帰ってきました。
これはT-4練習機
この日はファントムばっかりでした。
最後は、この日、駐機場も含めて唯一見た民間機。
那覇から来た
スカイマーク機(
ボーイング737)です。
私の腕が悪く、またタイミングも悪く、イーグル戦闘機はぜんぜん撮れませんでした・・・
日中間がこれ以上、緊迫化すると、
F-15を擁する
百里の305飛行隊は、1個飛行隊しかなくて手薄な
那覇に行く可能性もあると思うので、今のうちにまた見にいきたいと思いました。
まあ、それにしても民間空港としての
茨城空港は、大苦戦のようですが、我々にとってはこうして
自衛隊機を気軽に見ることができるスポットになってよかったです。
こうして大興奮の
茨城空港行きは終わりました。このあと、
常磐道のSAで晩ご飯を食べて、東京へ帰りました。今度は外環が大混雑していたので、友達に運転してもらい、首都高で帰りました。そうしたら、すごくスムーズに帰ることができました。だから首都高もいつかトライしなければ・・・と思いました。
しかし、今回の旅は、こうして飛行機を見るだけではなく、日本の防衛の最前線に立つ
自衛官の仕事というものも見ることができたような気がします。学校の先生たちは、戦争をしないのだから、戦争の道具はいらないでしょ?と暗に教える人が多いのですが、あまりにも現実離れしています。
「抜かずの剣こそ平和の誇り」(by神田鉄雄)
なのですよ。
そう言ったわけで日本の防衛を担う隊員の皆さんの安全と健康を願わずにはいられません。私の親戚にも陸上
自衛官・航空
自衛官がいるので、なおさらです。日本を取り巻く情勢が、緊迫化しつつある今だからこそ、こういう場面を見ることができて勉強になったような気がします。
(おわり)
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