類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

日金山には鬼がいる(熱海市)【前編】

しばらくブログを書いていないなぁーと思っていたら、何とこんな年の瀬になってしまっていた。 今年は忙しかったが、別にどこにも行かなかったわけでもなく、ただ何となくブログを書かなかっただけであった。だが平成最後の年、このまま放置というわけにもいかず、書きかけの下書き記事を完成させることに。 それで、これはもう相当前のことなのだが、以前、丹那断層を追いかけた後、車を十国峠の方向へ向けて、日金山(ひがねさん)という場所に行った。 日金山は十国峠(じっこくとうげ)とも呼ばれる。その名は伊豆、相模、駿河遠江、甲斐、信濃、武蔵、安房、上総、下総の十か国を眺望できることに由来するという。 昔から伊豆地方の死んだ人の魂はみな日金山を彷徨うと言われている。これは死者の霊がどこか別の場所に行くという山上他界の観念に基づくものだが、ふと興味を持ち、ここに行ってみることにしたのだ。 IMG_3231.JPG

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四天王寺の石鳥居(大阪市天王寺区)

ふとしたきっかけがあって大阪に旅行に行ってきた。ただ、メインの目的は大阪にいる友達に会うこと。彼はこの3月で現在の職場を退職し、東京へ戻ってくるという。それで彼が大阪にいるうちに、大阪を訪れたいと思い、激務に激務の奴隷労働をさせる濃厚ブラック職場を定時で退社するという奇跡を起こして、品川駅から東海道新幹線に飛び乗った。

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丹那断層を追いかけて(函南町)

箱根の南に函南町(かんなみちょう)という町がある。特に何か有名な観光名所があるわけではないのだが、私は昔からこの函南の地に何回も行ったことがある。函南伊豆半島の付け根にあり、田方郡に属するのでもと伊豆国の領域だ。鎌倉時代、幕府の執権をつとめた鎌倉北条氏の根本所領である韮山が近いから、中世の遺物や伝承をところどころに色濃く残す非常に興味深い地域である。しかし、函南にはもう一つ、見どころがある。というより、それこそが私と函南の出会いのきっかけとなったものなのだが…… IMG_3105.JPG

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忍性の足跡を訪ねて【後編】(三村山極楽寺跡・つくば市)

美しい小田の町並みを歩きつつ、本題の忍性のことに戻りたいと思う。良観房りょうかんぼう忍性は建保5年(1217)、大和国に生まれた。父は伴貞行とものさだゆきというが、私は彼が何者なのか調べきれていない。伴氏という姓からみて、上流階級であることは間違いなさそうだ。両親に伴われ、信貴山にしきりに参詣したこともあり、彼の文殊信仰はそこから始まったという。彼の両親にとって忍性はただ一人の男の子であったという。このため、父母の彼に対する愛は深く、ことに母親の寵愛を受けたという。 IMG_2671.JPG

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忍性の足跡を訪ねて【前編】(常陸小田城跡・つくば市)

鎌倉時代後期に活躍した律宗の僧侶で、忍性にんしょうという人物がいる。

法然親鸞、一遍、道元栄西日蓮ら所謂「鎌倉新仏教」の祖師たちが活躍した鎌倉時代の仏教界において、彼は教科書的には社会福祉や慈善活動によって、「旧仏教」サイドの対抗革命をしたイメージが強い。そのイメージは「非人救済」の慈悲深い僧として知られる反面、小説などでは時として日蓮のライバルとして描かれ、特に体制側の悪玉的な役を演じることもある。

ところが忍性の生涯において重要であったのは、母への愛、戒律の復興、そして文殊菩薩への信仰であった。

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岩本山実相寺(富士市)

私は昔から、日蓮宗の信仰が強いエリアを「日蓮宗地帯」と呼んでいる。北陸地方の「真宗王国」の類義語としてである。私が思う日蓮宗地帯は、まず鎌倉。鎌倉に数ある寺院の中でも、日蓮宗の寺は一番多いし、獅子吼(ししく)の「辻説法」で日蓮の教学が花開いた舞台は鎌倉であった。次に千葉県である。ここは日蓮の出身地、安房の小湊を中心に布教が行われ、中山の法華経寺などの日蓮宗にとって重要な寺院が多くある。さらに日蓮隠遁の地であり、総本山の身延山を中心とした山梨県。こういった地域が私の想定する「日蓮宗地帯」であった。 IMG_3022.JPG

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新年初ドライブ

所用があり、車で神奈川県の秦野のあたりから、国道246号線で静岡県駿河小山へ抜けました。図らずもこれが新年初ドライブとなりました。2018年のドライブシーズンの開幕です。

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