類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

元箱根の石仏群(箱根町)

今年最後の記事にふさわしいネタとなりました。話は今年の11月の下旬のこと。ふと気になった箱根町の元箱根の石仏群を見に行ってきました。 この石仏群は、芦之湯から元箱根へ向かう国道1号線現道(箱根国道)沿いにある中世の貴重かつ、優れた石仏・石塔類のことを指します。 私は学生時代、箱根を旅した際、元箱根へ向かう登山バスの車中から、精進池の独特な景観と屹立する五輪塔などの石塔類を見た記憶があるのですが、とうとう現在まで見学する機会がありませんでした。 今回、ふと思い立って、車で行ってみることにしました。 top.JPG

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阿弥陀堂の大板碑と足利基氏の塁跡(東松山市)

これは埼玉時代の末期の話。もうすでに埼玉の職場の退任が決まり、3月の退職までの空虚な時間を過ごすのみとなった今年の1月のことだった。私が歴史好きだと知っていた職場の先輩から「この前、仕事で行った先に『足利なんとかの屋敷跡』みたいのがあったよ」と写メを見せてもらった。場所は東松山大東文化大学東松山キャンパスの近くであるという。興味を持ったので、たまたま東松山に隣接する鳩山に住む大学時代の友達に問い合わせたところ、それは『足利基氏の塁跡』のことだという。それでその友達を誘って車で行ってみたことがあった。

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円覚寺国宝舎利殿の特別公開

11月3日は文化の日で、例年この頃に鎌倉の円覚寺建長寺では「宝物風入れ」と称して、寺宝の特別公開をします。この宝物風入れ自体は、過去に何回か見に行ったことがあるのですが、円覚寺でこれにあわせて行われる国宝舎利殿の特別拝観に行ったことがありませんでした。昨今、中世の禅宗様建築に興味を持つようになり、地方に残る禅宗の建築を見に行く機会(山梨・清白寺最恩寺)がありました。それなのに、教科書にも載っているような禅宗様の一番代表的な円覚寺舎利殿を見たことがない、というのは難なので、この機会を利用して見に行くことにしました。

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土屋一族の墓(平塚市)【後編】

土屋一族の墓から再び元来た道を戻って、山道を北に進むとやがて住宅地に向かって開けた場所に出た。ここには現在、土屋城址の案内板が立っている。

この丘陵上一帯が土屋一族の住んでいた館の跡付近だと考えられているが、宅地造成等で往時のおもかげはほとんど残っていない。ただ、周囲に残る地名や寺院、伝承や石仏、そして地形からこのあたりを土屋城址と比定している。

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土屋一族の墓(平塚市)【中編】

平塚市光明寺を出発し、いよいよ土屋氏の本領があった平塚市土屋地区に向かう。土屋は平塚といってもかなり内陸で、地理的にはほとんど秦野に近い。神奈川大学の湘南ひらつかキャンパスが所在しているものの、周囲はなだらかな丘陵が広がり、自然が豊かである。大半は住宅地ではあるものの、農地もかなり残っている。

車を平塚市土屋公民館に止めさせてもらい、散策をスタートする。

途中にあった土屋ざる菊園には、なぜかハリウッド風の看板が…

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土屋一族の墓(平塚市)【前編】

鎌倉時代を生きた武士に、土屋義清という御家人がいた。彼は頼朝の挙兵に当初から付き従った鎌倉幕府の古参御家人岡崎義実の子である。彼は土屋宗遠の養子に入ったため、土屋を名乗り、最初平氏に仕えたものの、頼朝挙兵に応じて以降は幕府に仕えた。彼の生涯はほとんどのところが記録に残されていない。彼は建保元年(1213)の和田義盛の乱で敗死し、その生涯を閉じる。ただ、その命を散らす間際の勇猛な戦いぶりだけが、後世の人々に記憶されることとなった。 行こか鎌倉、戻ろか土屋 思い乱れるる杜鵑山(とけいざん)・・・ とあるホームページに載っていたこんな歌に心を惹かれ、土屋義清が生きた旧地を訪ねたいと思ったのは、今年の春頃のことであった。

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日向地区の彼岸花(伊勢原市)

9月も中盤から終盤へ差し掛かる昨今。自分は実はこの9月から11月に至る秋がとても好きです。毎年何かと憂鬱なことが多いこの時期なのですが、秋の美しい日本の光景はどこへ行っても自分のそんな暗い気分を慰めてくれます。 特にこの9月中旬は彼岸花が盛りを迎えます。先日、出張先から帰る電車の車窓から、線路際に生える彼岸花の赤い花を見かけ、「そろそろ日向薬師の麓で見られる彼岸花の群生を見に行かなければ」ということになり、この連休を利用していくことにしました。ちなみに一昨年も行っています。

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