類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

丹那断層を追いかけて(函南町)

箱根の南に函南町(かんなみちょう)という町がある。特に何か有名な観光名所があるわけではないのだが、私は昔からこの函南の地に何回も行ったことがある。函南伊豆半島の付け根にあり、田方郡に属するのでもと伊豆国の領域だ。鎌倉時代、幕府の執権をつとめた鎌倉北条氏の根本所領である韮山が近いから、中世の遺物や伝承をところどころに色濃く残す非常に興味深い地域である。しかし、函南にはもう一つ、見どころがある。というより、それこそが私と函南の出会いのきっかけとなったものなのだが…… IMG_3105.JPG

函南町に関する過去のレポート】

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◆PART1 駒門PA

今日はセブンイレブンでコーヒーを仕入れ… IMG_3086.JPG

東名駒門PAへ IMG_3088.JPG

駒門PA下りは、新東名の御殿場JCTにおいて、神奈川方面への延伸工事を行うにあたり、2017年4月に裾野側へ1.7kmほど下った場所に移設された。 そのため施設はまだ新しく、とても綺麗である。 IMG_3089.JPG

もともと混雑する足柄SAを補う意味もあり、PAにしては規模が大きかったが、移設された後も駐車場の台数は多く、売店・食堂も充実している。 IMG_3087.JPG

これで後は給油施設さえあればサービスエリアになれそう。 そんなこんなで今日もフライングでお昼。最近できた施設ということもあり、食券ながらサービスエリアのようなフードコードがある。 本日はラーメン。こうして見ると辛そうだが、ぜんぜん辛くない。ただの豚骨ラーメンである。

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うまい。ごちそうさまでした。

 

◆PART2 丹那盆地丹那トンネル

沼津ICで退出し、県道11号(熱海函南線)を経由して函南に向かう。伊豆縦貫道の開通のおかげで、東名沼津インターから函南までのアクセスは良くなっている。 従来は沼津インターより国道1号(東海道)や国道136号(下田街道)を経由する必要があった。この場合、沼津や三島の市街地を通るため、交通量も多く大変だった記憶がある。 伊豆縦貫道は片側一車線ながら、東名・新東名と接続し、全線立体交差で三島の郊外を通るため、さしたる交通集中に直面することなく大場函南ICから熱函道路の入り口までアクセスすることができる。

 

函南駅入口

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東海道線函南駅は町のかなり北に位置している。 このあたりは丹那トンネルから出て来たばかりの山がちのエリアで、止まる電車の本数は1時間に三本ほど。 時折、並行する新幹線線路を新幹線が疾走するが、それを除けばとても静かである。 この函南駅の周辺だけ見ていると、函南町は山間の山村という印象を受けるが、実は町の中心部、すなわち町役場やメインの市街地はここではなく、三島や沼津に隣接する平野部にある。このため函南町はほぼ三島・沼津両市のベッドタウンとしての性格を持ち、住宅地や商業地も多い。 なお、これらの市街地にはJRの函南駅よりも、伊豆箱根鉄道大場駅(三島市)や伊豆仁田駅が近い。 少し迷ってしまい、狭い集落の道を走りながらついたのは…

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酪農王国オラッチェ IMG_3099.JPG

 

ここ丹那(たんな)盆地は、かつては地下水が豊富で、稲作やわさび栽培などが行われてきた。しかし、足柄峠経由だった東海道線(現在の御殿場線のルート)を短絡するため、1918年から熱海山塊を貫く丹那トンネルの工事が始まった。 丹那盆地はトンネルの直上にあたる。16年もの難工事の末、トンネルは完成するが、トンネルによって大量の地下水が抜けてしまい、豊かだった湧水は丹那から失われてしまった… このため鉄道省(当時)からの補償を受け、丹那盆地では稲作から酪農への転換が行われた。 こうして盛んになった酪農。ここで生産されるものは牛乳が有名。

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神奈川県内で小学校時代を過ごした私も「丹那牛乳」は学校給食で馴染み深い。

◆PART3 丹那断層公園

そして酪農王国オラッチェから車で5分ほど。函南町畑の集落の中に目的の場所はあった。 丹那断層公園 IMG_3110.JPG

 

丹那盆地の一角にあるここは、昭和5年(1930)11月26日早朝の北伊豆地震で動いた丹那断層の痕跡を保存するための公園である。 IMG_3117.JPG

 

地下の奥深くで地震が起こると、その圧力で地層や岩盤が割れる。この割れ目のことを断層という。断層は普通、地下奥深くにあり、地表に現れることは少ないが、場合によっては断層の末端が地表に現れる場合もある。 丹那断層は、地表に現れた断層の代表例として知られている。 詳しくは、こちらの案内板を参照 IMG_3109.JPG

函南町では現在、この丹那断層公園と火雷神社(からいじんじゃ)に二か所で断層によるズレを見ることができる。 この断層は横ズレ断層である。このため断層のずれにより、川が切断され、1kmも食い違ってしまった場所があるという。

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北伊豆地震の町内での被害の様子を撮った写真パネルがあった。 IMG_3142.JPG

北伊豆地震の発生は昭和5年(1930)11月26日午前4時2分。 1930年と言えば、世界恐慌のただ中で日本も昭和恐慌のどん底に沈んでいた頃だ。 それでいてロンドン海軍軍縮会議での統帥権干犯問題が起きて、きな臭くなってきた頃。 地震と同じ月の14日には当時の浜口雄幸首相が東京駅で暴漢に襲われ負傷。地震は首相が負傷により不在の時に起きたことになる。 地震の規模を示すマグニチュードは7.3。丹那断層が動いたことによる内陸直下型地震である。 7.3ってすごいな…結構な規模である。 揺れは三島で震度6、沼津や横浜、横須賀で震度5、東京都心は震度4であった。 被害は死者・行方不明者272名、負傷者572名を数えた。 中心被災地は伊豆地方で、家屋の倒壊、土砂崩れ、貯水池の決壊などが起き、特に韮山など狩野川流域の地域に被害が集中した。

 

◆PART4 石積みのズレ

では、いよいよ実際に断層によるズレを確認してみたい。 公園内にある何の変哲もないこのエリア。実は意味を知ると、圧巻の感動を覚えるのである。 IMG_3122.JPG

 

まずはこの画像。赤い板の看板を見てもらいたい。これは断層線の指標を表すものだ。 IMG_3120.JPG

 

この指標をもとに、画像中に緑色で断層線を引いてみる。 IMG_3120.JPG

 

次にこの画像。何やら半円状の石積みが対になってあるが… IMG_3132.JPG

 

実は画面の中にあった石積みは本来、円形になっていた(水田の脇にあるゴミ捨て場だったらしい)。 それが断層線によって切断され、ズレてしまったのだ。【クリックで拡大】

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この画面の真ん中を斜めに通過する断層線に注目しながら、再度石積みの食い違いを見てもらおう。 IMG_3132.JPG

おわかりいただけただろうか? 初見の人をここに連れてくると結構いい反応してくれる。 「すげー!地震すげー」って感じに。 さきほどの断層線の延長線上には平成に入ってから掘ったトレンチ(試掘坑)によって地中の断層線も見学できる。

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何が素晴らしいって、函南町がこういった場所をしっかりと整備していることだ。 IMG_3158.JPG

なかなかいいところだね、函南町

 

◆PART5 火雷神社の鳥居と石段

さて、断層公園からまた車で移動。 今度は田代集落にある火雷神社(からいじんじゃ)に向かう。

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なお、断層公園やオラッチェからは看板が出ているが道は迷いやすい。 カーナビでも検索できない。スマホでGoogleMapなどを使うといいだろう。 駐車場はないが、車はこんな感じで道に止めることができる。

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それにしても火雷神社とは珍しい名前。 IMG_3165.JPG

 

なお、函南町には他にも大土肥地区と軽井沢集落に雷電神社という名前の神社がある。 火雷神社とともに、雷という文字が入る。 このあたりは雷が落ちやすかったのか?不思議である。 この何の変哲もない小さな神社も丹那断層によるズレがわかる貴重な場所である。

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というのも現在の神社の鳥居はなぜか社殿へ登る石段に対して斜めに設けられている。 IMG_3166.JPG

 

そして正面から見ると石段がなぜか二つ並んである。 IMG_3183.JPG

 

右側の石段下には崩落した鳥居の一部が残されている。 IMG_3191.JPG

 

実はこの石段と崩落した鳥居の間に丹那断層が走っているのだ。 IMG_3180.JPG

 

崩落した鳥居を再現する。緑色の線が断層線である。 IMG_3192.JPG

 

ここも北伊豆地震の際、本来石段の正面にあった鳥居がズレてしまったのだ。 IMG_3220.JPG

 

崩落した鳥居の部材は今もそのままだ。 IMG_3198.JPG

 

鳥居と石段の間のズレは約1.4m。ここは社殿や石段、鳥居に対して断層線が斜めに走っているのと鳥居が地震で崩落してしまっているのでわかりにくい。 IMG_3217.JPG

 

案外、このズレを教えてくれるのは石段のこの部分が明瞭である。破損でズレた断層の動きの方向が見える。 IMG_3221.JPG

 

このズレの様子を保存するため、右に新しい石段を作ったようだ。 IMG_3223.JPG

 

なお、社殿も地震で崩落したので再建されたものであるという。 鳥居も新しく脇に作りなおした。

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石段や鳥居を新しく作りなおしてしまったら、このズレは今に残っていなかった。 だが、不自然に並んだ石段や崩落した鳥居、そして新しい鳥居によって私たちは北伊豆地震の痕跡と大地のエネルギーのすごさを今もこうしてみることができるのだ。 北伊豆地震の痕跡を今に伝えた田代の人たちの思いには、何か熱いものを感じる。 IMG_3195.JPG

 

実は私が最初にここに来たのは、もう10数年前。中学生の時であった。 IMG_3172.JPG

 

あれは夏の暑い日。当時所属していた科学部の合宿で、ここに連れてこられ、この神社の様子をスケッチさせられた。 あの時は正直言って地震の痕跡などには興味がなく、断層のズレが地表に現れ、現在も残っていることの意味などまったくわからなかった。 だけど、もしあの時にこの感動を味わえていたならば…断層のズレの意味がわかっていたら、たぶん自分は別の人生を歩んでいたのではないか…… そんなことを思うことが時々ある。 まだ少し遠い春を待つ田代盆地に立ちながら、あの遠い夏のことを思い出した。

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ここに来るのは4回目なのだが、また来たいと思う。今度は夏の暑い日に…… IMG_3227.JPG

 

◆おまけ1 なお、丹那断層と北伊豆地震については、丹那トンネルへの影響についても触れなければならない。地震発生当時、建設中だった丹那トンネルはちょうど湧水対策の水抜き坑を掘っている最中にこの地震に遭った。

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この排水用の坑道は断層のズレで切断され、熱海側の坑道は函南側に対し2mズレてしまい、直線での貫通ができなくなった。このため丹那トンネルの線形はこれを修正するため、わずかにS字型になっているという。 戦後になって掘られた東海道新幹線の新丹那トンネルもこの断層を通過している。新幹線が断層を通過しているってすごいな… 丹那トンネルについてはまた後々にリサーチを加えたいと思う。

 

◆おまけ2

丹那断層の見学の後は、箱根方面へ抜けた。 函南の田代あたりから箱根へ抜けるには静岡県道11号熱海函南線の旧道区間を通る必要がある。 IMG_3228.JPG

 

熱海峠までは4kmほどなのだが、この通りの狭隘&急坂&勾配。 IMG_3229.JPG

通る車などほとんどないのだが、苦手な道だ。 苦手なくせに、私はここを3回ほど車で越えている。 なお、この県道11号のバイパス区間(函南~熱海間)がいわゆる「熱函(ねっかん)道路」である。1997年までは有料道路だった。だが、現在は無料化でただの県道になり、カーナビやGoogleMapでもこの区間は「熱海街道」と表示されるようになった。 伊豆縦貫道下の側道には「熱函入口」という名の交差点はあるものの、熱函道路という不思議な語感の道路がかつてあったことを知っている人もだんだん少なくなるのかと思うと、一抹の寂しさがある。

 

(おわり)

2020/7/24 リンク等を貼りなおしました。