類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

宗吾霊堂へ行ってきた2

ただ、宗吾参道の駅を降りると、すぐに石でできた道標やら、案内板みたいなものやらが立っており、道に迷うような心配はない・・・と思っていました。それで案内板に沿ってしばらく歩いていくと、すぐに写真の門が現れたので、ほどなく着くだろう・・・とは思っていました(事前にスマートフォンで調べて駅から1kmほどということは知っていたのですが)。 DSC_0009.JPG ところが歩いても歩いても着きません。それどころかどんどん住宅地になっていきます。 DSC_0031.JPG 不安になってスマートフォンの地図機能を開くと、意外や意外。方向は間違っていません。 それでそのままなおも歩いていきました。 やがてこんな感じの道につきあたりました。スマートフォンを見ると、ここを直進するらしいのです。 そこで歩いていくと、ほどなくして着きました。 DSC_0010.JPG DSC_0011.JPG 実はこの日、お昼ご飯を食べそこなっていて、どこかでご飯を食べたかったのですが、昼食がとれるようなお店はありませんでした(ちゃんと探索していなかっただけかもしれませんが)。 それでお腹が減ったまま参拝します。 門前にはお土産物屋が並んでいます。桜はもう散り始めて、葉っぱが混じっています。 DSC_0012.JPG これが宗吾霊堂の本堂です。昔、高校生の時使っていた資料集に写真が載っていたので、見覚えがあります。 DSC_0014.JPG しかし、この宗吾霊堂、現在正式には東勝寺という真言宗豊山派のお寺です。東勝寺は、もとは別の場所にあって坂上田村麻呂の創建伝説がある古いお寺であったということです。一方、惣五郎の供養堂は、惣五郎の処刑地であるこの地に建てられ、その後、東勝寺の管理下にありました。供養堂が明治時代に火災で焼失した後、大正時代になって東勝寺がこの地に移ってきて宗吾霊堂と合体したということです。いろいろ複雑ですね。 現在の主な寺観は次の通りです。 大本堂。これが惣五郎を祀るお堂ということになります。 DSC_0026.JPG 薬師堂 DSC_0029.JPG 山門 DSC_0030.JPG 他に宗吾霊宝殿(左)と宗吾御一代記館があります。 DSC_0027.JPG DSC_0025.JPG 他に聖天堂や鐘楼などがありました。 境内ではスピーカーで宗吾霊堂の由緒と、宗吾御一代記館の案内を流しています。 「聞くも涙・・・」みたいな文言が出た時には思わず心の中でクスッとしていまいましたが、なんとなく気になります。それでちょっと行ってみることにしました。