類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

愛知県に行ってきた5(設楽原歴史資料館と馬防柵)

医王寺の勝頼本陣は、長篠の戦いと言うより、あの民俗資料館のおどろおどろしい雰囲気の方が気になってしまい、不思議な感じでした。しかし、この日はとにかく訪問予定地が多い。昼ご飯を食べることもなく、慌ただしく医王寺を出発したのが2時半頃。そこからさらに新城方面へ南下し、設楽原歴史資料館という場所へ向かうことにしました。

ちょっと道がわからなくて、正式なルートよりひとつ前で右折してしまい、狭い道に入り込んで難儀しましたが、無事に到着。

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長篠城の資料館で買った共通券で中に入ります。

長篠城の資料館と違い、こちらはずいぶん近代的な感じ。

文書の展示があったり、火縄銃のレプリカを持つことが出来たり、なかなか面白くてよかったです。

さてさて、鳥居強右衛門のこともあり、持ちこたえた長篠城にはやがて織田・徳川の連合軍が応援にやってきます。

勝頼は結局、長篠城を落とすことができず、そこから設楽原に誘い出される格好で、連合軍と戦います。

この時、連合軍は鉄砲を大量に使用し、武田軍に大きな打撃を与え、勝頼はわずかな手勢に守られ、信濃へと退却していきます。

武田家はこの時、有能な武将を何人も失ってしまい、この後、信長は武田家と対峙する上でこの戦いは大きな意味を持ったことでしょう。

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ところで、かつて私が中学生の頃は、長篠の戦いは「当時、最強と言われた武田の騎馬軍団を信長と家康の連合軍が馬防柵で防ぎながら、鉄砲の三段撃ちで倒した戦い」と教わったのですが、近年はこれについて諸説あるようで、三段撃ち(一人が撃って、一人が待機していて、一人がその間に準備して交代交代で絶え間なく撃つ戦法)はなかったのではないかと言われています。ついでに騎馬軍団というものを否定する動きもあるようです。

奇襲や新策を用いた信長や秀吉といった戦国時代の天下人の戦い方をフューチャーするようになったのは、明治時代、特に日露戦争以降であるとされており、今後、史料の読み直しによって通説もいろいろ変わっていくかもしれません。

ただ、鉄砲が大量に用いられた事実はたぶんそうであろうと言われており、その鉄砲隊を守るために信長・家康軍が急遽現地で組み立てた柵のことを馬防柵(ばぼうさく)といいます。

大量に用いられた鉄砲とともに長篠の戦いを代表するもので、現地にそれを再現したものがあると聞いて、ここにやってきたわけです。

資料館の前にもありましたが、長篠と一緒で何か物足りない感じ。

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ところが資料館を見学していると、屋上の展望台に出ることができるのですが、そこから西側に馬防柵がたくさん再現してある場所を発見。

そこで、資料館の見学を終えると、お土産を買いつつ、受付のお姉さんに質問。

私 「あの馬防柵のところへはどうやったら行けるんですか?」

お姉さんは、地図を見せて説明してくれました。

お姉さん 「資料館へ登ってくる坂道を下りて直進し、最初の十字路を直進すると、右手に見えてきます。そこを右折すると狭い道ですが、車も通れて、馬防柵の裏に出ることが出来ます。そこは行き止まりになりますが、よほど大きい車でなければUターンもできます」

私 「はぁ・・・ちょっと大きい車なんですが・・・」


お姉さん 「ああ、そうですか・・・」

というわけで、資料館を出て、馬防柵へ向かって出発。

狭い道と聞いて、最初は歩いていこうとしましたが、徒歩だと10分ほどかかると聞いてやっぱり途中で面倒くさくなり、駐車場へ戻って車に乗り込んで再出発。

車だと2~3分でつきました。

資料館からまっすぐ下って、最初の十字路を直進し、そのまま走っていくと馬防柵が見えてくるので、右折します。

確かに狭い道なのですが、まあぜんぜん余裕。

田んぼ(畑?)の横を進んでいくと、まもなく馬防柵のところに出ました。

しかし、そこで道が二股に分かれ、一方は馬防柵、一方はなんか山道みたいな感じになっていて、どこに車を止めたらいいかわからない。

そこで助手席の友達が降りて、先を見に行ってくれたのですが、どうも馬防柵の方が広くなっていて止められる感じというので、馬防柵の方へハンドルを切って進み、脇に寄せて止めておきました。

こんな感じで。

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こうして難なく辿り着きました。

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馬防柵の説明【クリックで拡大可能】

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ちなみに後方には例によって建設中の新東名の高架が見えます。

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背後は田んぼで、カエルの声なんかが聞こえたりして、のどかです。

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いつ頃、再現されたものかはわかりません。この土塁っぽいものも復元なのでしょうかね?

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でも、まあ雰囲気は出ています。

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あじさいも咲いていていい感じ。

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土屋昌次(続)という武田の家臣の墓(戦死の地の碑)がありました。

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彼は三方原の戦いで活躍し、ここ設楽原でも勇猛に戦ったのですが、三重になっている柵を二つまで突破したのですが、最後の柵で撃たれて戦死してしまったとのことです。

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自動車で来た場合はこの場所を使って転回が可能です。

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これで一応、長篠の戦いの関連史跡の見学は全部終了!

いろいろ面白かったです。

馬防柵はずいぶんとテンションが上がりました。

やっぱり史跡見学は楽しいですね。

あと三河は気に入りました。また来たいですけど、遠い・・・

ほんでもって、私たちは車に乗り込み、最後の目的地の豊川へ向かいました。

(つづく)