類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

秩父地方に行ってきた2(定峰峠と秩父神社)

さて、慈光寺の見学を終えた私たちはいよいよここから山を越えて、秩父へ向かいます。秩父へ向かう道は、いったん小川町の方へ出て、東秩父村を通り定峰峠という峠道を越えていきます。途中の道は、いずれも幅員1.5車線くらいの狭い道です(途中、離合ができるようなスペースは随所に設けられていますが)。私の車だとあまり楽に走ることはできないので、対向車に気を付けながら、慎重にハンドルを切ります。 意外と交通量があり、特に目立ったのはバイクでした。ツーリングの人が通るようです。ちょうどお昼時であったので、定峰峠の頂上付近にある鬼うどんといううどん屋さんに入りました。わりと車がいっぱいでしたが、お店の前に一つだけ空いていたスペースに車を止めます。 IMG_5351.JPG しかし、着いてみてびっくり。駐車場には本格的にスポーティーな車が並んでいます。 IMG_5352.JPG 実はこの地は漫画「頭文字D(イニシャルD)」に出てくる峠として有名な場所であったのです。 そのため、車が好きな人たちがやって来る、そういうところでした。 事前情報はあったものの、いざ来てみると本当にすごい車が並んでいてびっくりです。 それはそうとしても私たちの目的はおうどんなので、お店に入ります。 店内では外の車のオーナーたちらしき人たちが、車談議に花を咲かせています。 常連客ばかりのようです。 お店のご主人も車に詳しいらしく、おうどんを注文して、待っていると、ご主人がほかのお客さんと車の話をしている声が聞こえます。その中でふと「ギャランフォルティスのスポーツバック」という言葉が聞こえてきました。 それは私の乗っている車の車名なのですが、外観を見ただけでわかってしまうのは、すごいなぁと思いました。 最近はアニメに登場する場所を訪れる「聖地巡礼」という世間では流行っているらしいのですが、この鬼うどんもそれに近いものがあると言えるでしょう。 おうどんは細めで、少しピリ辛ですが、おいしかったです。あと一番奥の座敷に座ると、山々の姿が美しく大変すばらしいお店でした。車マニアじゃないと、多少のアウェー感はありますが、うどん好きの人は近くに来た際はよってみるといいと思います。 さて、おうどんで腹ごしらえを済ませると、定峰峠を越え、いよいよ秩父に下りてきました。 最初の目的地は秩父神社です。 IMG_5354.JPG 秩父地方の大きい神社と言えば、他に三峰(みつみね)神社と宝登山(ほどさん)の二つの山岳信仰の神社がありますが、秩父盆地の中心にある秩父神社こそがやはり秩父地方の総社と言えるでしょう。現在の秩父市の前身となった自治体は大宮町でしたが、地名の由来となった大宮は秩父神社のことを指しています。言うまでもなく秩父秩父神社門前町として発展した町なのです。 IMG_5355.JPG 秩父神社の社殿です。立派なものであると同時に装飾が見事です。なんとなくこの秩父地方はどれも社殿の装飾が多いような気がしますが・・・ IMG_5357.JPG かつての日本の宗教は、仏教・神道の習合、つまり神仏習合が常態でした。この秩父神社も今でこそ秩父神社ですが、明治の神仏分離まで妙見宮を名乗って、妙見菩薩という仏教の仏を祀っていました。しかし、妙見菩薩自体も根っからのインド伝来の仏ではなく、中国の思想が日本に入ってきたもので、北極星を神格化したものです。日蓮宗でよく祀られていることが多い仏様です。現在は妙見菩薩と同一とされる天之御中主神(あめのみなかぬしのみこと)を祭神の一つに加えています(明治の神仏分離令によって、このような苦し紛れの置き換えは、妙見菩薩に限らずいっぱいあるのです)。 秩父神社の鳥居です。 IMG_5360.JPG 秩父神社の近くに秩父鉄道秩父駅があります。その線路越しには武甲山が見えます。 IMG_5361.JPG 武甲山秩父の象徴的な山であるとともに、石灰岩の鉱床として重要な山です。石灰はセメントの原料となります。明治期以来、石灰の採掘は秩父と日本の産業を支えてきたわけですが、その痕跡とも言える山体の変容は圧巻です。 IMG_5365.JPG 武甲山の姿を見ると島村利正という人の『秩父愁色』(新潮社、1977年)という小説を思い出します。 すごいドロドロした小説ですが、舞台となった秩父地方の描写にはどこか惹きこまれるものがあります。 もう入手は難しく、図書館などに行かないとない本かもしれませんが、現代小説が好きな方は一読されてみてはいかがでしょう。
秩父愁色 (1977年)

秩父愁色 (1977年)

  • 作者: 島村 利正
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1977/07
  • メディア: -
(続く)