類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

秩父地方に行ってきた1(慈光寺の歴史と信仰)

東京の都心から約60kmほど西北、関東山地の中の盆地に位置する秩父地方は秩父霊場に夜祭、黒谷和銅遺跡、長瀞渓谷、宝登山三峰神社秩父神社秩父事件の旧跡などなど、興味を刺激するものが多くあり、昔から一度は行ってみたいと思っていました。そこで休日に友達を誘って自宅から秩父へ向かい出発しました。 普通、自動車で行く場合の秩父の玄関口は関越自動車道の花園インター(埼玉県深谷市)ですが、今回はその手前の嵐山小川インターで降りて、まずときがわ町の慈光寺を見学することにしました。慈光寺は埼玉県比企郡ときがわ町(旧都幾川村)西平(にしたいら)にある天台宗の寺院で、正式には都幾山慈光寺といいます。ときがわ町比企郡に属します。比企地方は秩父とは山を挟んで東側に位置する地域です。 IMG_5315.JPG 慈光寺へはお寺のホームページですと、東松山インターからの案内が出ていますが、私の車のカーナビで検索すると一つ先の嵐山小川インターで出るように案内が出ていました。地図を見ますと、東松山インターからだと約18km、嵐山小川インターからだと約16.4kmで少しだけ嵐山小川インターでおりたほうが早いようです(おそらく嵐山小川インターは新設されたインターチェンジなので、お寺は東松山インターからの案内を出しているのでしょう)。東松山インターからだとときがわ町の中心部を、嵐山小川インターからだと小川町を経由して行く感じになります。今回はカーナビの案内通り、嵐山小川インターでおりました。 静かな農村を抜けると道路は次第に山深いところへと向かっていきます。やがてついた慈光寺は西平(にしたいら)の集落を見下ろす山の山腹にあり、つづら折りの坂道を登らなければなりません(自動車で登れるように整備されていますが)。ですから麓から寺まで歩くとなるとずいぶん大変です。ただ町営バスが休日は運行されているようで、これはお寺の前まで来てくれるようです。途中で坂を上っていくバスを見ました。慈光寺の本尊は十一面千手観音で、坂東観音霊場の9番札所にあたります。 慈光寺の駐車場です。現在も多くの巡礼者たちで賑わっており、この日も駐車場は私の車が入った時点でいっぱいになってしまいました(しかし、実は奥にももう一つ駐車場があるようです。私も含めてみなその存在を知らないため、ここが満車になってしまうのでしょう)。 IMG_5313.JPG 慈光寺の本堂です。納経所はここです。 IMG_5316.JPG 慈光寺は江戸時代に書かれた寺伝では天武天皇12年(683)に慈訓という僧が千手観音を安置し開いた霊場で、後に役小角が来遊し、道忠が開いた寺とされています。しかし、開山から中世期にかけて慈光寺に関する文字史料はほとんどないので、寺の詳しい姿はあまり明らかではありません。唯一『吾妻鏡』に四回、この慈光寺と慈光寺の僧である厳耀が4回登場しています。その内容は ①治承3年(1179)3月1日 頼朝は伊豆国から安達盛長を遣わし、慈光寺に洪鐘を鋳造させる。(文治5年(1189)6月29日条)
②文治5年(1189)6月29日 頼朝は日頃礼敬する愛染明王を慈光寺に贈り、これを本尊に奥州征伐の祈祷に励むように別当・厳耀(げんよう)らに仰せ含める。
③建久3年(1192)5月8日 頼朝が鎌倉の南御堂(勝長寿院)で行った後白河法皇の四十九日の法要に慈光寺の僧衆が「十口」出る。
④建久4年(1193)3月13日 後白河法皇の一周忌の法要に、厳耀が宿老僧の一人として百僧を従えて仏事を行う。
といったもので、このように見ると慈光寺という寺は思いのほか、鎌倉幕府(特に頼朝)との関係が深く、この当時すでに大寺院であったことが知られます。さらに上野(今の群馬県)の名刹・世良田の長楽寺を開いた栄朝(栄西の弟子)は慈光寺の厳耀のもとで出家していることからもそのことがうかがえます。 慈光寺の観音堂です。大変立派なものです。 IMG_5320.JPG 色あせた額や彫刻が時代を感じさせます。私はこの褪せた感じが実はすごい好きだったりして・・・ IMG_5322.JPG 慈光寺にはもう一つ有名なものがあります。車で登ってくるつづら折りの山道の途中にあるこの青石塔婆、つまり板碑です。 IMG_5348.JPG 板碑は供養塔として建てられる塔婆のことです。鎌倉期に始まり中世期にかけて非常に多くなるこの石塔は、供養のための仏像を梵字で表すというところに特徴があります(仏像がそのまま彫ってある場合もありますが)。板碑は全国にありますが、関東、特に埼玉県に多いのですが、その理由はやはり原材料にあると言えるでしょう。関東にある板碑は秩父青石と呼ばれる石を使っています。 慈光寺の境内に敷いてある石も板碑と同じような色をしていました。このことから本当にこの地方が板碑の原材料の産地であったことがうかがえます。 IMG_5329.JPG 来る途中、はじめ車から見た時は、その大きさにびっくりしました。石造美術品が好きな人は一見の価値があります。 IMG_5340.JPG いろいろなものを見た慈光寺をあとに、次はいよいよ秩父へ向かいますが・・・その前に腹ごしらえをします。 →秩父地方へ行ってきた2(定峰峠と秩父神社)