藤沢・遊行寺に行ってきた
腰越から電車に乗った私は、今度は藤沢に出ます。
これが藤沢の町ですが・・・鎌倉とは違ってこちらは大きな町です。
駅前にはデパートや大型家電量販店が並びます。
藤沢の町はもとは東海道の宿駅、そしてこれから行く時宗総本山の遊行寺(正式には清浄光寺)の門前町として発展しました。現在の市域は南北に長く、北は大和、東は横浜・鎌倉、西は茅ヶ崎に接しています。人口40万あまりで、西湘の中心都市である平塚(26万人)よりも多くの人口を有しています。
幹線としてJR東海道線、私鉄に江ノ電、小田急、横浜市営地下鉄、相模鉄道が乗り入れています。中央には日本大学のキャンパスと高校(日大藤沢高校)などがあり、工業・文教・住宅すべての要素を持った都市と言えましょう。
そんな藤沢には先にも述べた時宗の総本山、清浄光寺(しょうじょうこうじ)があります。
通称を遊行寺(ゆぎょうじ)、あるいは藤沢道場と言います。
そこへ向かおうとしたのですが、何も調べずに来たので道がわかりません。
こういう時にスマートフォンだとすぐに調べられるのですが、私の携帯電話は普通の携帯電話なのでそれもできません。しかたがないので駅の地図を写真に撮り、これを頼りに進みます。
地図をカメラに撮っていながら適当にあるいていたら、迷ってしまいました。
でも、どういうわけか、迷いながらも自然に遊行寺に足は向かっていたようで、まもなく藤沢橋へと着きました。
すると、もう遊行寺らしきお寺の屋根が見えます。迷っていたはずなのに、なぜかついてしまいました・・・
お寺の入口です。
ここから参道が続いています。
私もあまり詳しくはないので『国史大辞典』の項目を簡単に読みますと、鎌倉末期の創立で、南北朝期にかけて伽藍が整備されたようです。ただ戦国期、後北条氏の時代になると、兵火によって焼失し、以後江戸時代に至るまで再建されなかったようです。
お正月の余韻を残しながら、境内は静かです。本堂には入れるようでしたが、一人の男性の方が正座して熱心に念仏を唱えていたので、遠慮して外から参拝です。
遊行寺に来たら、これも見ときましょう。藤沢敵味方供養塔です。
応永25年(1418)の上杉禅秀の乱で戦死した兵士を遊行寺の僧侶が供養して建てた石塔で、敵味方供養塔の部類としては古いものとなります。
ちなみにこの塔の下を通るのが旧東海道で、お正月の箱根駅伝で有名な遊行寺坂はこのあたりです。
本堂の隣には水子地蔵がありました。無邪気なぬいぐるみの笑顔がどこかもの悲しさを誘います。
もうだいぶ日も暮れたので、藤沢駅に歩いて戻り、小田急に乗って帰りました。
(続く)