類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

道成寺(日高川町)

新婚旅行編。紀三井寺の続き。

…というわけで、旅はいよいよ南紀へ突入。ここからが本領発揮というべきか。紀三井寺を訪ねた私たちは和歌山市街から阪和道で一路みなべ町へ。当地のリゾートホテルで一泊するや、翌日は再び北上し、日高川町にある道成寺へやってきた。

言うまでもなく「安珍清姫」の伝説で有名な天台宗の古刹である。

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私たちはみなべ町方面から北上してきたので阪和道の御坊南ICから北上するパターンとなった。なお、寺は住所的には日高川町に位置するが、ほとんど御坊市に隣接している。紀勢本線道成寺駅も住所は御坊市である。

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最初に我らを出迎える道成寺の山門は江戸時代の建築。元禄期のものだというが、いい感じである。

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扁額。「天音山道成寺」とある。

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境内は向かって右側に三重塔。近世期の造営。

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そして正面に本堂。この本堂は南北朝期の建築と思われる。壁板や鬼瓦には「正平」や「天授」といった南朝年号が使われているのが気になる。

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近世期に紀伊藩の援助による修理など数回大規模な修理が行われた他、昭和から平成にかけても修理が行われ、中世の姿を取り戻した。

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寺は寺伝によれば、文武天皇が母藤原宮子の願いにより建てた勅願寺とされる。よって和歌山県下で現存する最古の寺とされるが、実際、発掘調査で8世紀初頭にはここに寺があったことは確実視されている模様。

 

そう、「安珍清姫」で有名な道成寺だが、もう一つ文武天皇の母である藤原宮子の「髪長姫」の伝承もある。

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髪長姫の話はざっとこんな感じ。

昔、紀伊国九海士の里*1に漁師がいた。この漁師には妻がいたが、なかなか子宝に恵まれない。それで八幡宮にお祈りをすると、ようやく妻は身ごもった。生まれた女の子はお宮さんに祈ってもうけた子なので「宮子」と名付けられた。

しかし、その宮子、成長しても髪の毛が一本も生えてこない。そんな時、海に光物が出現し、不漁が続くという事件が起きる。

漁師は光ものの正体を知ろうと海に船を乗り出し、元海女だった妻が海に入る。それで光るものの正体は仏像であったことがわかる。その仏像は観音様で、それをお祀りしていると魚はまたとれるようになり、漁師たちは大喜び。

また夫婦は娘の髪の毛が生えないことを観音様に祈ると、とたんに娘の頭には髪が生える。それもとても長くて美しい黒髪であった。

よって宮子は髪長姫と呼ばれるようになった。

両親はこの髪は仏様からもらった髪だからと抜けたものも木にかけておいた。

するとある日、一羽の雀が都にそれをくわえて飛んでいく。都の宮中の雀の巣にそれがかかっているのを偶然知った藤原不比等(右大臣)がその美しい黒髪の持ち主を宮仕えさせようと決め、この髪の持ち主を探させる。

諸国を探した結果、紀伊国にいる髪長姫の髪であることがわかり、姫は不比等の養女となって、宮仕えし、やがて文武天皇の后となる。

そして聖武天皇を産むのである。伝承ではこの宮子が文武天皇にお願いして、自分の髪の毛を与えてくれた観音様をお祀りするために建てたのが道成寺であるという。

 

いろいろなパターンのお話があるらしく、髪を都に持って行った鳥もスズメだったり、ツバメだったりする。

 

しかし、この話は知らなかったなぁ。文武天皇の妃の藤原宮子は、私としては奈良時代藤原氏が皇族と姻戚関係を結んでいく当初期の登場人物というイメージしかなかったから…

 

文武天皇と宮子をからめた髪長姫の話は近世期に形成された物語と書いてある文献もあるが、あんまり詳しくは知らない。

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ここでも桜が綺麗。

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さて、道成寺と言えば、もう一つ有名なのは、やはり安珍清姫の話である。

 

これもざっくりとあらすじを言うとこんな感じ。

 

昔、奥州より美しい僧が熊野へお参りに行く道中、紀伊国牟婁郡真砂の庄司の家に一夜の宿を借りた。庄司の娘、清姫は美しい安珍に一目惚れ。関係を迫るが(要するに夜這い)、安珍は僧ゆえに断って、熊野詣での帰り道には必ず立ち寄るといってその場をなんとか乗り切って、旅立つ。

清姫の方はウキウキワクワクしながら僧が熊野詣の帰りにまた真砂の里に寄るのを待つのだが、待てど暮らせど僧は来ない。

とうとう自分から探しに行き、人に聞くと、その僧はもういずこへと去って行ってしまったと聞いて…

 

「だ、だ、だましたなぁ~必ず寄るって言ったじゃん!」と大激怒。

 

ものすごい勢いで僧を追いかけ始める。

 

追われていることに気づいた僧は「ひ、ひぇ~」と逃げ始める。

日高川を渡った安珍。それを追いかけてきた清姫はとうとう蛇体になって、日高川を泳ぎ切る。

川を渡って日高郡に入った安珍道成寺の僧に「た、助けてくれ~、ど、どっか隠れられるとこない?」と言って、釣鐘を下ろしてもらい、その中に入って隠れることに(なんでそんなところ隠れるねん)。

 

追ってきた清姫(蛇身)。寺の坊主どもに「安珍はどこじゃ~」

寺の僧たち「ひ、ひえ~こ、ここにはおりません。ほらね」

清姫「うそつけい!だったら、なんでこんなに不自然にここに釣鐘がおろしてあるんじゃ~どうせ、こんなかに安珍が隠れておるのやろう。出てこい、安珍。うぉ~」

 

とうとう蛇体の清姫は釣鐘を取り巻く。取り巻かれた釣鐘は炎上。後で僧侶が恐る恐る釣鐘をあげてみると、あわれ安珍は中で黒焦げになって焼死していた。

 

蛇体の清姫日高川に身を投げて死んでしまった。

二人は死後も畜生道に落ちて苦しんでいた。そこで道成寺の僧が二人の供養を行うと、法華経の功徳により二人は成仏。後に天人の姿となって道成寺の僧のもとにお礼を言いに来る。

そんでもって実はこの二人はそれぞれ熊野権現と観世音菩薩の化身だった…という謎展開ですべてが終わる。

 

仏教説話であるが、妻も私も最後のなぜ安珍清姫熊野権現と観音の化身なのか、というのはよくわからなかった。

この騒動はいったいなんだったんだっていう…

 

だが、このいわゆる安珍清姫物は日本人は大好きなのか、派生した作品がいっぱいできる。

男が女に執心して、清姫よろしく追い掛け回す作品もある。

能に義太夫節に歌舞伎に人形浄瑠璃と様々な作品が演じられてきた。

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なお、寺内に入るのは無料である。

…が、この道成寺に来てこちらの宝物館に入らない手はない。拝観料を払って、さっそく宝物館へ!

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なにしろ、この宝物館では、お坊さんが寺の宝物(国宝の千手観音像)の解説をしてくれた後、縁起堂にて「安珍清姫」の絵解きをしてくれるのだ!

 

熊野勧進十界曼荼羅などの話には聞いていたが、絵解きというのは私は経験したことがなく、何しろ道成寺に来たのはこれを楽しみにしていたのだ。

みなべのリゾートホテルにいる時からひたすら「安珍清姫」のストーリーをインターネットで調べまくるくらい、楽しみにしていた。

実際、ここでの絵解きはお坊さんが現代的なユーモラスなたとえ話を交えつつ、面白く、それでいて仏教の教えも解いてくれる。

もちろん国宝の千手観音も素晴らしかったが、ここでの体験はとにかく大満足であった。

 

満腹、満腹ってか、お昼を食べてないから実際、空腹ではあるが、道成寺はとにかく良かったとしかいいようがない。

そんでもってたいして大きくはない寺内を出ると、今度は寺から西の方角へ。

住宅街の中を進む。

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住宅街の一角にあったのは…

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「蛇塚」。「じゃづか」と読むらしい。

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安珍を鐘ごと焼き殺した後、日高川に身を投じた清姫の大蛇を葬った場所であるという。

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安珍清姫」の話をベースの一つにしたと思われる上田秋成の『雨月物語』の中にある傑作「蛇性の淫」のラストシーンにも「真女児」と「まろや」の蛇を道成寺の前に埋めた「蛇塚」の話がある。

 

いやぁ…道成寺は素晴らしかった。今回の旅の中でもなかなかの場所であった。

 

が…蛇塚を撮っている最中に大問題が発覚。それはなんとこの旅行のために買ったと言っても過言ではないミラーレス一眼レフのバッテリーがなくなりつつあったのだ!

 

嘘でしょー!

 

最近のバッテリー類を過信した私は5日間くらい持つでしょ?とタカをくくって、充電器を持ってきてなかったのだ!

今思えばなんて馬鹿なことを…

あんな充電器、一つ持っていれば、ホテルでいくらでも充電できたのに!

悔やんでも悔やみきれないとはこのこと。

しかし、もうどうしようもない。

もしかしたら、ここらの家電量販店で充電器売っていたかもしれないが…もうバッテリーがなくなったらスマホのカメラで撮るしかなくなった・

 

しかし、スマホのカメラ。確かに昔よりは高画質ではあるが、あまり好きじゃないんだよなー

 

とは言え、しかたがない。門前でご飯をたらふく食べて、私たちは次の目的地へ。

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まだまだこれから旅は本番。いよいよ、明日は南紀田辺・そして熊野へ向かいます…

(つづく)

 

*1:現在の御坊市