類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

新婚旅行編のスタート(序章・徳島へ)

とうとう重い腰を上げてこの記事をスタートさせねばなるまい。

筆者は昨年3月に結婚している。その頃はまだ新型コロナウイルス感染症の日本での拡大がせいぜいダイヤモンド・プリンセス号の船内の騒ぎにとどまっていた頃。しかし、市中感染が広まり、緊急事態宣言の必要性が叫ばれ始めた頃、なんとか結婚式を終えた。これは実に危なかった。なにしろ、翌月には緊急事態宣言が発令。そうなれば結婚式も何もなかったであろう。それでも私たちはなんとか式を挙げることができた。

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その後、仕事の方もテレワークが続いた。しかし、引っ越し仕立ての我が家の整備などには、この長い長いおうち時間は却ってよかったのかもしれない。

 

ずっと巣ごもりであったが、ずっと家にいることができた分、早めに家の片づけもすることができた。

 

だが、ずっと気がかりだったのは新婚旅行のこと。

 

私も妻ももちろん新婚旅行は行きたかった。

しがし、私と妻の仕事の特殊性上、長期の休みがとれるのは夏か春ぐらい。

いや、それよりも新型コロナウイルスの猛威により、そもそも旅行ができない。

 

2020年の秋は、いったん新型コロナウイルスの流行が落ち着いたこともあって、Go toトラベルキャンペーンも始まったことにより、念願の聖徳太子の御廟と當麻寺へ一泊旅行をした。

 

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結婚してから初めて妻との泊りがけの旅行。

念願だった磯長の聖徳太子廟をはじめ、折口信夫の『死者の書』に興味を持っていた時期であったので當麻寺への参詣は素晴らしい思い出となった。

奈良がいっそう好きになったこの旅ではあるが、これを新婚旅行という風には、私も妻もとらえていなかった。

 

新婚旅行は、ちゃんと何泊もしてあるものだと、私も妻もそう思っていたのだ。

 

なお、新婚旅行に関する妻の意向は海外、殊にヨーロッパであった。

 

私は小学生の時と大学生の時、父にフランス、オランダ、ベルギー、そしてイタリアに連れて行ってもらったことがある。

 

妻も学生時代の修学旅行ではパリなどに行ったことがあるようだが、もともと西洋絵画に大いに興味があることもあって、もう一度、ちゃんとパリやイタリアに行ってみたいというのだ。

 

困ったことになった。

 

私は小心者な上、語学ができない。

ヨーロッパへの旅行にはちょっと尻込みしてしまう。

おまけにヨーロッパへの新婚旅行となると、それなりの資金が必要だ。

 

ここで私は都合よく新型コロナウイルスの流行を持ち出した。

 

「こんな状況じゃ、海外なんてだいぶ行けないでしょ?」

 

まあ、これには妻も納得せざるを得ない。

特に時期的にイタリア、スペイン、そして英国で新型コロナウイルスは猛威を振るっており、海外渡航など狂人のすることといった様相であった。

おまけに行けたとして、帰国後、2週間の隔離となるのである。

 

新婚旅行は国内ですら行けて万々歳。そんな雰囲気の中、年も改まった2021年。

まさかのコロナ付き合いの2年目。

年始から出されていた緊急事態宣言は、3月にようやく解除の見通しが見えてきた。

早速、私は自分が行きたかった紀伊半島への旅へ向けて計画を立て始めた。

 

ルートは…

徳島空港から徳島入りし、その日は徳島市で一泊。翌日、レンタカーを借り、淡路島へ。伊弉諾神宮を参拝し、妻の意向で大塚国際美術館へ。

その日は鳴門で一泊。

翌日、鳴門を出て、徳島港から南海フェリーで対岸の紀伊半島へ渡る。和歌山港から上陸し、紀三井寺を参拝、そのまま南下し泊地のみなべ町へ。

翌日は道成寺を参拝。その後、紀伊田辺へ。南方熊楠の記念館を見て、一路、熊野本宮へ。川辺温泉で一泊し、翌日に熊野本宮大社へ参拝。その後、車を新宮へ向け、熊野速玉大社へ。那智勝浦で一泊し、最終日は那智山へ行く。熊野那智大社青岸渡寺那智の滝を見て、南紀白浜空港から羽田へ向かうという壮大なものだ。

 

徳島入りするのは妻が大塚国際美術館を見たいがためである。

 

徳島から紀伊半島へ渡るということがなければ、レンタカーの乗り捨て料金がかからずに、相当費用面では節約できたが、全部自分の見たいところ、というわけにもいかない。

そしてせっかく徳島に行くなら、行ったこともないし、その後、行く用事もあまりなさそうな淡路島へも行きたい、ということになったのだ。

 

時代はかわり飛行機はもちろん、宿もレンタカーも、全部インターネットで予約を済ませられる。飛行機は事前にクレジットカードで決済できるし、宿もレンタカーも現地でクレジットカードで決済できる。

なんと便利な時代になったものだ。

 

準備はできた。

あとは緊急事態宣言が解除されるのを待つのみ。

 

果たして私たちが出発する直前に緊急事態宣言は解除された。

 

まあ、大手を振るって旅行できるわけではないけど、緊急事態宣言は解除されているから、という名分は一応ある(とは言っても時期が時期的にかなり肩身は狭かったが)。

 

こうして私たちは人生最初で最後の新婚旅行に出かけるのだった。

 

だが、土曜にも関わらず、羽田空港は閑散。悲しくなるほど人がいなかった。

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混雑は嫌だが、こんなに閑散としている羽田空港は見たことがなかっただけに悲しい。早く新型コロナウイルスが収束して、経済が回復し、このターミナルがまたたくさんの旅人たちで満たされる日が早く来ることを願わずにはいられなかった。

 

途中、テレビのカメラを持ったクルーに声をかけられたが、「ちょっと…」と手を振って逃げた。

 

それでも徳島行きの飛行機はそれなりに乗客がいた。もっとも羽田-徳島間の飛行機は新型コロナウイルスによる需要低迷のため、何便か減便されているせいもあるかと思うが…

 

ともかくもようやく徳島についた。この日の午前までは仕事をしていたわけだから、その日常から抜け出して遠い地に来たのはかなり気分が昂揚する。

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なお、私は徳島に来たのは2回目だが、最初は徳島といっても高知側から徳島県のはずれをちょっと訪れただけだ。もちろん徳島市自体は初めてである。

しかし、これで高松、松山、高知に続いて四国四県の県庁所在地はすべて制覇したことになる。

 

徳島到着は夜8時頃。リムジンバスで徳島駅まで出て、まずホテルにチェックインした。

 

時短営業のため、夕飯は外で食べられないだろう。そう思っていた。少なくとも東京では夜8時以降は飲食店は閉まっている。

ところが徳島では普通に飲食店がやっていた。

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それで名物の徳島ラーメンで夕飯とした。餃子に替え玉まで頼んでおおはしゃぎ。ほとんど移動だけであったが、こうして初日は終わっていくのであった。

 

(つづく)