類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

大山寺その2(伊勢原市)

そんなこんなで大山寺駅からハイキングコースのような山道を歩くこと数分。大山寺の正面参道にたどり着いた。

紅葉の時期であったなら、綺麗であろうこの階段。この日はまだ蝉が鳴いているくらいの蒸し暑さで、木々の葉もまだまだ青い。写真だけ見れば新緑といってもいいくらいの青さだ。

神奈川県は温暖であるから、かなり秋深まらないと紅葉は期待できない。9月の終わりではまだこんな感じだ。

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▼前回

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石段を上がると、すぐに本堂がある。

 

前の記事で述べたように、大山の信仰は中世以降はこの大山寺に祀られた不動明王を中心に、仏教や修験道などが合わさった神仏習合の形で展開していた。

それは別に大山に限らず、各地の山岳信仰と同じ形態である。

 

この山の斜面のわずかな平場に所狭しと建てられている堂宇の雰囲気がなんとなく和歌山県那智山青岸渡寺と似ている。

 

今年の春、新婚旅行の折に念願の青岸渡寺に行ったことは、後の記事で述べるが、この薄曇りの日といい、この雰囲気といい、あの日のことを思い出し、心がときめく。

 

堂内に入ると、いっそう青岸渡寺の本堂的な雰囲気がした。

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那智と大山では、地理的にも信仰の系統的にもぜんぜん違うのだが、なぜかそのことばかりを思い出す。

 

それにしても大山寺は不動明王の信仰の地である。とりわけ特徴的なのは、この寺の本尊の不動明王は鉄仏なのだ。

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この不動明王の鉄仏は、鎌倉時代の高僧・願行上人が大山に登拝して感得して目にした不動明王の姿を忘れまいと、鎌倉の理智光寺に鋳造所を設けて作ったものであるという。

なお、この時、試作として作った不動明王像がもう一体あり、それは鎌倉の大楽寺にあったが、戦火によって寺が廃寺になると、同じ鎌倉の覚園寺に移されて今日に伝わっているという。

「願行上人試みの不動」と呼ばれるこの鉄仏は、秘仏で見ることはできない。

なお、本家の大山の不動明王は、毎月8・18・28日がご開帳日だが、この日は本堂前に「本日御開帳日」とあった。

コロナのため「疫病退散」を祈っての開帳であるようだ。

 

大山の不動尊と「試みの不動」の話は、私が幼少期から陶酔を受けた『かまくら子ども風土記』の上巻のうち、覚園寺の一連の話の中に載っていたのでよく知っていた。

物語調のあの話の中で、幼い頃にイメージした大山の姿は、霧深い深山幽谷といった雰囲気なのだが、実際、この日の大山は霧が山際をかすめとおっていき、そんな雰囲気にはぴったしだった。

だけど、不動明王が示現する雰囲気には、ちょっとまだ甘いかな。

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ちなみに本堂内は内拝が可能なので300円払って、名高い大山の不動明王をみてもよかったが、なぜか見なかった。

またの機会にしよう。

いつもそんなことを言っている気がするが、大山は手軽に来ることができるので、楽しみはとっておいても差し支えない。

 

再びケーブルカーに乗り、阿夫利神社まで行った。

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大山寺はかつてはこの場所にあった。明治の神仏分離で、大山寺は取り壊しとなった。しかし、神仏分離廃仏毀釈は各地においてそれまでの神仏習合に大打撃を与えつつも、結局は庶民の民間信仰的な側面を完全否定することはできず、なし崩し的に挫折していったのと同様、ここ大山においても明治18(1885)年には、旧地から少しおりた来迎院の跡地に再建された。

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この間に祭神が石尊権現から大山祇大神に入れ替わった新しい阿夫利神社が成立。阿夫利神社と大山寺という二つの形態が山内にそれぞれ独立することとなった。

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ここのところは、秋葉山秋葉神社秋葉寺の関係、那智山における熊野那智大社青岸渡寺の関係と似ている。日本全国でそんなことが行われたのだ。

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大山寺の復興には庶民の信仰が根強かったことがあげられよう。

なにしろ、不動明王というのはわりと関東地方の人たちには人気の仏様なのだ。f:id:pt-watcher:20210923143316j:plain

江戸時代には「大山詣り」が人気を集め、東京・神奈川には各地に「大山道」の跡が残されている。そして、麓の伊勢原や藤沢等には遥拝鳥居があるところからも、大山信仰がどれほど民衆に根強かったかをうかがい知ることができよう。

 

今や綺麗な水からできる豆腐やこまで有名な伊勢原。結構、鄙びた感じがあるが、近場でなかなか魅力のある寺社であると思う。

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それでは再びケーブルカーで下っていきましょう。

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また、大山へも登れるといいな…

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(おわり)