類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

日金山には鬼がいる(熱海市)【中編】

伊豆地方の山上他界として知られる日金山。隣接する霊園から山道を歩くこと10分ほどでたどり着いた日金山東光寺。死者の魂が集まる山、地蔵信仰の霊地として、かつては多くの人が参詣したというこの地も平日の真昼間は人っ子ひとりいなく、静まり返っていた。

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◆PART1 山上は他界

本堂はコンクリート造りで味気ない。 IMG_3257.JPG IMG_3262.JPG IMG_3263.JPG IMG_3264.JPG

 

内部を覗いたものの、暗くて頼朝創建と伝える本尊の延命地蔵菩薩の姿は見えなかった。

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本堂に至る道の両脇には閻魔大王と奪衣婆の石像があった。 IMG_3259.JPG IMG_3260.JPG

 

◆PART2 下界を見下ろして

鐘楼越しに麓の町が見えた。 IMG_3266.JPG IMG_3267.JPG

 

方角的に湯河原になろうか? IMG_3268.JPG

海も少し見えた。 IMG_3269.JPG

日金山東光寺の説明はこの案内板に概略があった。【クリックで拡大】 IMG_3270.JPG

日金山東光寺の由来
応神天皇二年(二七一)伊豆山の浜辺に、光る不思議な鏡が現れました。鏡は波間を飛び交っていましたが、やがて、西の峰にとんでいきました。その様子は日輪のようで、峰は火を噴き上げているように見えたので、日が峰と呼ばれ、やがて日金山と呼ぶようになりました。
同四年(二七三)松葉(しょうよう)仙人が、この光る不思議な鏡をあがめ、小さな祠を立てて祀ったのが、開山と伝えられています。
推古天皇の頃(五九四)走湯(そうとう)権現の神号を賜り、その後、仁明天皇の承和三年(八三六)甲斐國の僧、賢安が、日金山本宮から神霊を現在の伊豆山神社のある地に遷したと言われています。 鎌倉時代は、源頼朝の篤い信仰に支えられ、現在本尊として祀られている延命地蔵菩薩像も、頼朝公の建立によるものです。
地蔵菩薩は、地獄に其の身を置いて、地獄で苦しむ者を救ってくれる仏であることから、死者の霊の集まる霊山として、篤い信仰があり、今も尚、春秋の彼岸には多くの人が登山して、神仏や先祖供養のために、卒塔婆供養をしています。

 

◆PART3 日金山奇縁

なお、死者の集う山として、日金山にはこんな昔ばなしがあった。山上他界をテーマにしながら、非常によくできた物語である。まんが日本昔ばなしの中の一つなのだが、あらすじはざっとこんな感じた。

日金山奇縁

昔、伊豆の山中新田(現静岡県三島市)に新吉という独り身の若者がいた。新吉はある夏祭りの夜に、玉沢村(現静岡県三島市)のお玉という娘に恋をし、将来を誓い合った。ところが後日、新吉が玉沢村のお玉の両親に会いに行くと、お玉は流行り病にかかって死んでしまったという。
新吉はショックを受け、それ以降、家にこもりがちになってしまった。その年の秋の彼岸、新吉は日金山に登ることにした。秋の彼岸に日金山に登り、お地蔵さまにお参りすると、会いたい人とそっくりな人に会えると言われていたのだ。
新吉は日金山に登り、お玉を求めた。しかし、結局、お玉に似た女性に会うことはかなわなかった。諦めて新吉が帰ろうとし、ふと道端の石地蔵を拝んで、その横を通り過ぎようとした時だった。石地蔵の足元の小石がふとつ転がっていった。その小石をつかんで、石地蔵の足元に置きなおした時、近くにいた一人の老婆が驚いた顔で新吉を見ていた。 老婆は新吉に近づき言うには、新吉の顔が亡くなった婿殿の顔にそっくりなのだという。聞くに、老婆は江戸の日本橋の糸屋の女将で、以前、一人娘に婿殿を迎えたのだが、その婿殿はまもなくなくなってしまった。娘はそのショックで寝込んでしまい、その療養のために熱海の温泉に湯治に来ているという。
老婆に娘に一目会って欲しいと頼まれて、新吉は熱海の温泉宿に行くと、そこにいた娘は何とお玉そっくりの女性であった。娘も新吉を見て亡くなった婿殿そっくりの姿に驚いた。しばらくして娘の病は癒え、新吉と娘は結ばれた。新吉は糸屋の婿に迎え入れられた。 たった一つの小石が転がったことによって、最愛の伴侶を亡くした者遠しが結ばれた、なんとも不思議な話であった。

 

他界と現世が入り混じる地において、死者とよく似た人と出会う話は実は各地にある。例えばここから近い箱根板橋地蔵尊(宗福院)の1月と8月の大祭では、この日に詣でると亡くなった身内の人と瓜二つの顔の人に会えると言われている。また、大山の麓にある伊勢原の茶湯寺では、死者の霊を百一日の茶湯で供養する「百一日参り」という風習があり、この日にお参りに行くと、必ず死者に似た人に会えると伝えられている。 神奈川県下ばかりではなく、日本各地にそのような風習や言い伝えが存在している。 愛する人を得た時、人はそれを絶対に失いたくないと思うのが当然だ。 私は今までそういう感覚がわからなかったのだが、2018年の暮れ、ようやく失いたくない人を得た時、この話の本質がわかったような気がする。 愛する人を失いたくない。 だけれども、もし、失ってしまったら…… 人は亡くしたものが他界に行ったと信じることで、そのショックを和らげようとするのだ。そして、その人が確かに他界に行ったのだという確証を、僅かでもいいから得たいと思うのだ。 新吉の日金参りもそういった性質のものであったのだろう。

(続く)

【参考】日金山奇縁(まんが日本昔ばなし~データベース~)

板橋地蔵尊大祭小田原市ホームページ)

茶湯寺伊勢原市ホームページ)