類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

碓氷峠熊野神社

碓氷峠のめがね橋を見学し終わった後は、そこから一路軽井沢に向かうことに。ウネウネの峠道を越え、碓氷峠の頂上に到着。ここが群馬県安中市)と長野県(軽井沢町)の境界となる。旧道はカーブが200近くあり、碓氷バイパスの開通前は、道路交通の方も困難を極めたであろうと思われる道であった。ただ、碓氷バイパス上信越道があるため、旧道の交通量は非常に少ない。だが、道路公団が建設し、近年まで有料道路であった碓氷バイパスが無料開放された後も、旧道の国道指定は解除されていない。現役の国道であることに変わりはない。

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さてさて、ここから碓氷峠にある熊野神社を目指すことに。

とは言え、碓氷峠熊野神社は、この国道18号旧道からだいぶ北側の山中にある。

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ここでWikipediaにある下の地図を見てもらいたい。

この通り、一口に碓氷峠と言えど、時代によって利用される道が変化しているのだ。

鉄道や自動車用の道路が開通する前のかつての中山道は、ここよりさらに北側を通っていた。

これがいわゆる「旧碓氷峠」である。

明治期以降、それより南側に信越本線や現在の国道18号旧道が作られ、戦後に碓氷バイパスが建設された。

さらに平成に入ってから、上信越道碓氷バイパスよりさらに南側に開通した。

新幹線は旧碓氷峠の北を大きく迂回して軽井沢に至っている。

この通り、碓氷峠の範囲はかなり広い。

しかも碓氷バイパスが通っている場所は、すでに入山峠という別の峠であり、上信越道の碓氷軽井沢インターも碓氷峠や軽井沢の遥か南方の山中にできている。

今回目指す熊野神社は、旧碓氷峠に位置する。

ここに行くには、本来は西側から旧軽井沢を通っていくのが一般的だ。

しかし、事前に旧軽井沢からの道は歩行者専用道路あり、人がたくさん&狭隘であるらしい。

そこで今回、国道18号旧道からダイレクトに旧碓氷峠へ行くことができる道をみつけた。

それはこの国道18号旧道の碓氷峠を越えたら、すぐ右折して山道に入るルートである。

この道を経由することで、旧軽井沢を経由せずに、まっすぐ北へ向かうことができる。

行楽地の渋滞を避けることもできよう。

…が、さっそくそこを右折しそこなった。

Uターンしそこなって、そのまま軽井沢の市街地に突入。

連休で大渋滞の軽井沢をウロウロしているうちに、時間を無駄にしてしまった…

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軽井沢は、もう木々がこんなにも鮮やかに。

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有名な避暑地であると同時に、天皇陛下が皇太子であった頃、お美しい美智子妃と出会われた場所とあって、町中何かにつけて「プリンス」の接頭語がつくものが多い。

近年はアウトレットの開業もあり、町はものすごい車の数であった。

ようやく元の国道18号旧道の碓氷峠へ戻ってきた。

ここから山道へ!

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この道は一応、県道だが、ほとんど林道に近いような路面状態で、幅も狭い。

側溝が葉に埋もれており危険である。

だが、ほとんど別荘地内の道路で前からも後ろからも一切車が来ない。

すれ違った対向車は一台だけであった…

目論見通り、旧碓氷峠に着くことができた。

軽井沢の市街地に迷い込まなければ、もっと早く着けた…

ちなみに旧碓氷峠熊野神社に参拝者用の駐車場はない。

このようなお土産屋さんの駐車場を利用するしか手段がない。

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今回は「碓氷山荘」の駐車場に車を止めさせてもらう。

ほんでもって、碓氷峠熊野神社へ。

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案外、人がいっぱいいる。

軽井沢から出ているこんなレトロな観光周遊バスでも観光客がここまで来るようだ。

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この神社は少し変わっている。

それがこの看板に書いてある通り…

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境内に県境が通っているのである。

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ちょうどこの参道の中間が、長野・群馬の県境である。

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同じ境内に二つの神社があるのだ。

神社の名前も違う。長野県側は「熊野皇大(くまのこうだい)神社」、群馬県側は単に「熊野神社

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鳥居や隋神門は共通だが、県境の真ん中にある本宮を挟んで長野県側の本宮と那智宮、群馬県側の新宮の3つのお社がある。

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社務所や授与所なども別々になっている。

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こちらが長野側の授与所。

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群馬側の授与所は、隋神門の群馬側にある。

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なぜ、こんなに県境にこだわるのか。

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どうも、往古から上信国境にあったことは変わりないのだが、戦後の宗教法人を登録する際に、登録の単位が都道府県単位であったため、別々の神社として登録されることになったのだとか。

県境にこだわるようになったのは、案外最近なのかも。

近くには見晴し台があるだけあって、眺望が良いはず…だったが、あいにくの曇り空で何も見えず。

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ここに熊野神社があるのには由来がある。

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古事記』や『日本書紀』に出てくるヤマトタケル(日本武尊)。

彼が東征を命じられ、東国の敵を次々と討ち取って、ここにやってきた。

彼は平定した東国を眺めながら、ここに来る途中、浦賀水道(走水)で、海神の怒りを鎮めるため、入水した妻の弟橘比売(おとたちばなひめ)を想い、こう嘆いた。

「あづまはや・・・(我が妻よ・・・ああ!)」

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東国のことを「あづま」と呼ぶのはここに由来するのだとか。

しかし、ヤマトタケルは神話上の架空の人物であろうが、関東には彼の東征に由来する地名はとても多い。

ちなみに、彼は最期、白鳥となって飛び去っていく。

どこか悲劇的で、物悲しく、ロマンチックなヤマトタケルの伝説は、何かモチーフがあり、関東の人たちに昔から広く知られていた話なのだろう。

石母田正氏は、5世紀の実在の大君、武(雄略天皇)との関係を指摘している。

なかなか良い神社であった。また、来たい。

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駐車場を利用したので、碓氷山荘で昼食をとることに。

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レトロな雰囲気だが、トイレを借りた際、奥に入ると中は本当に山荘であった。

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寒かったので、このストーブの近くに陣取ったが、途中から日差しが出てきて、暑くなってしまった。

ただ、外は急に風が出てきたので寒いよりマシである。

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頼んだ食事は、温かいとろろのお蕎麦と、名物の力持ちのセット。

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満腹になり、店内が暖かいこともあって眠くなってしまった。

ごちそうさまでした。

帰り道も、もと来た山道を戻る。

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落ち葉や枝などいろいろなものを踏み潰しながら進む。

国道18号旧道の碓氷峠へ戻ってきた。

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ここから再び群馬側へ。

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途中、セリカが後方から出現したので、拓海ばりの「溝落とし」や「インのさらにイン」をついて、ぶっちぎってやりました(セリカ以外、全部ウソです)。