類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

碓氷峠を越えた人びと

秋は連休がたくさんあっていい感じです。ですが、相変わらず仕事が忙しく…って感じですが。しかし、せっかくの連休、どこにも行かないのは難なので、風呂敷残業を覚悟で、出かけることにしました。

行き先は、たまには北関東でってことで、群馬県でかねがね行きたいところをピックアップ。迦葉山と、碓氷峠で迷いましたが、いろいろ考えた結果、碓氷峠にすることに。

というわけで、さっそく車で関越・上信越と乗り継ぎます。

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関越は、早速、鶴ヶ島JCT付近からつまり初め、東松山から花園の間で渋滞。ただ、中央道のような止まってしまう渋滞ではなく、ノロノロな感じ。まぁ、ここらへんはいつも通りか。しかし、関越使う時は、いつも早い時間帯であったので、下りでの渋滞遭遇は初めてだったかもしれない。上りはしょっちゅう経験してるが。

そんなこんなで、藤岡JCTから上信越道へ。

上信越道の利用は、これで4回目。

疲れたので甘楽PAで休憩だが、ここも来るのは2回目。

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SAやPAは、大好きな場所。なぜなら、SAやPAでの軽食が大好きなのだ。

今回は、定番のフランクフルトと迷ったが、結局、玉こんにゃくに。

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もう一つの楽しみは、飲み物。SAやPAによくあるカップ式のコーヒーである。

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これは、ネクスコのSAやPAには必ずある、蓋を自動でつけてくれる自販機で出てくるやつである。

♪チャラララッラーチャッラララー

という謎の音楽とともに、自販機についているモニターでカップに注がれるところとか、蓋を取り付けるところが見られるようになっている。

でも、こういう自販機って、衛生面はどうなんだろうか…

いろいろ心配してしまうが、そういうことをいちいち気にしていたら何もできないので、まあ特にどーでもいいのだが。

連休とあって駐車場は、車でいっぱい。ほとんどが他県のナンバープレート(自分もだが)。

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圏央道の接続で、神奈川方面からのドライバーも多いようだ。

松井田妙義ICで流出。国道18号線を進む。

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信越線の横川付近。

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並走していた信越線は、ここで途切れ、道路のみが碓氷峠へ向かう。

国道18号碓氷バイパスを分けると、18号の旧道はとたんに交通量が少なくなる。

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バイパスがあるとは言え、仮にも二桁の現役国道とは思えない普通の2車線道路で安中市坂本の集落を抜けると、ウネウネカーブが連続する山道に突入する。

カーブの数は非常に多く、しかも一つ一つがきつい。

そして、道が狭い。

飽きない道だが、ハンドルを右に左に非常に忙しい。

しかも群馬の人は、例の豆腐屋に感化されている人が多いのか、峠で血が騒ぐようだ。

後続車の車間がずいぶん近い。

自分の車は、センターラインをどうしてもオーバーしてしまい、センターラインに打ってある反射材付きの鋲を、何度か踏んでしまい、ガコンガコンと嫌な音が響く。

まあ、そんなこんなで、峠を半分ほど越えたところにあるめがね橋の駐車場に到着。

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駐車場には、綺麗なトイレあり。

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しかし、駐車場はほぼ満車状態。

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ここから、徒歩で5分ほど行くと、碓氷峠を象徴するめがね橋へ行くことができる。

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徒歩5分というと、結構ありそうだが、実際そんなにない。2~3分で着く。

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しかし、雨上がりのちょっと薄暗い雰囲気の中の散歩は気持ちが良い。

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薄ら寒いくらいだ。だが、紅葉はまだまだ。

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こうして歩いて…

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歩いていく…

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下には、綺麗な流れが。これが碓氷川だろうか。

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やがて…

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見えてきました。

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めがね橋の通称で知られる碓氷第三橋梁。

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険しい碓氷峠を越えるため、明治26年(1893)に完成した信越本線の旧橋梁である。

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全長91m、高さは31m。約200万個のレンガを用いて作ったもので、近代の産業遺産として国の重要文化財に指定されている。

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国鉄と旧松井田町が建てた解説板。

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信越本線の碓氷第三アーチ


1、建設   明治二十五年十二月竣工

2、設計者  イギリス人、パゥネル技師

        日本人、古川晴一技師

3、構造   煉瓦造、アーチ橋

        (径間数四、長さ八十七、七メートル)

4、建設してからのあゆみ

碓氷の険峻をこえるため、ドイツの「ハルツ山鉄道」のアプト式を採用して横川、軽井沢間が明治二十四年から二十六年にかけて建設されました。

その、こう配は1000分の六六、七という国鉄最急こう配です、これを昭和三十八年九月、速度改良のため新線の完成と同時に使用廃止となりました。このアーチ橋は廃止になった構造物の中では最大のものです、すぐれた技術と芸術的な美しさは今なおその威容を残しております、ここに往時を偲ぶ記念物として、その業績を長くたたえたいものです。

昭和四十五年一月一日

高崎鉄道管理局

松井田町教育委員会

信国境を越える碓氷峠

かつての中山道がここを越えるわけであったが、この峠道の険しさが人々のスムーズな往来を拒んでいた。

近代に入ると、大量輸送の手段として鉄道網の整備が進められたが、当時、碓氷峠の急こう配を鉄道が越えるのは、大変な困難を伴った。そこで群馬県側の横川と、長野県側の軽井沢の区間において、アプト式と言って、レール間に敷いた歯車を噛み合わせることで、上り下りする山岳鉄道の方式がとられた。

こうした特殊な方式をとる横川と軽井沢の間は、信越線の中でも特に「碓氷線」とか「横軽(よこかる)間」と呼ばれている。

鉄道唱歌の北陸編(1900年)にも

♪これより音にききいたる 碓氷峠アプト式 歯車つけておりのぼり 仕掛しかけは外にたぐいなし

と歌われている。

昭和38年(1963)に輸送力改善のため、このめがね橋より北側に新線が上下線分けて作られ、このめがね橋の役割は終わった。

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さらに現在は、その新線も1997年の長野新幹線の開業で廃線となった。

こうして、往古の人びとが苦労して越えた碓氷峠の鉄路は、旧線・新線とも使われていない。

新幹線のトンネルは、めがね橋・新線のさらに北側を長大なトンネルで通過している。

高崎からやってきた信越線は、横川でいったん途切れる格好になっている。

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ちなみに、これは18号の橋。

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大量のレンガを積み重ねてできたこの構造物。

明治時代に、これが作れてしまう、この技術には、本当に驚くばかり。

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だが、残念ながら教養のない人たちはそれがわからないらしい。

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現在、この橋の上に線路はない。遊歩道になっており、登ることができる。

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ちなみに熊が出るらしい。怖い!

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こちらも案外あっさり登れる。

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周囲にいた人たちは、「疲れた、疲れた」と言っていたが、健脚が売りの自分にはどうってことない距離であった。

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橋の両端はトンネルになっていた。

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碓氷線の特徴は、トンネルの多さ。

長野の県歌「信濃の国」にも、

♪吾妻はやとし 日本武(やまとたけ) 嘆き給いし碓氷山 穿(うが)つトンネル二十六 夢にもこゆる汽車の道…

と歌われている。

トンネルの多さのため、碓氷線は電化が急がれ、大正元年(1912)には横川側に設けられた発電所による電化が行われた。

明治期にすでに電気鉄道は開通していたが、この時代の電気鉄道は路面電車や私鉄がメイン。

まだまだ幹線は蒸気機関車の時代である。

碓氷線は日本で最初の幹線電化の区間となった。

めがね橋から見た下の様子。

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かつていにしえの旅人たちを乗せた列車が、走ったであろう橋の上。

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明治から昭和にかけて、いろいろな思いを乗せて、列車はこの上信国境を越える人々を運んで行ったのであろう。

北側に目を向けると、こちらも今は廃線となった新線の橋梁が見える。

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新線は手前と、奥にもう一本ある。新幹線はトンネルで通過しているから見えない。

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新線開通でアプト式は廃止となったが、新線も勾配がきついことには変わりなく、通常の列車でここを越えることは厳しかったようだ。

そこで補助の電気機関車を2両も連結してその力を借りて勾配を登り、逆に勾配を下る際は補助機関車の発電ブレーキの力を追加して下って行く、という方式をとっていた。

そこまでの知識は、以前からなんとなく知っていたが、この補助機関車のことを「シェルパ」と呼んだらしい。「シェルパ」と言えば、ネパールのヒマラヤ山脈エベレストへの登山で荷役を担うあのガイド役の人のことだ(厳密には「シェルパ」は、ネパールに住む民族の一つらしい。これも初めて知った)。

なるほど、都会からやってきた人を碓氷峠へ上げて、下すわけだから、「シェルパ」なわけだ。

日本風に言えば「強力(ごうりき)」と言ったところか。

新幹線が開業する前は、この信越線を多くの特急や急行が走っていた。

いま北側を通る新幹線は、東京と長野の間を、最速1時間半ほどで結ぶが、在来線特急・急行がメインであった時代の話も、もし思い出話をしてくれる人がいたら聞いてみたいものだ。

なお、この碓氷線で使用されていた機関車などは、横川の運転区跡にできたテーマパークである「碓氷峠鉄道文化むら」に展示されている。

碓氷峠…なかなか感動的な場所でした。

最近は近代の産業遺産の世界遺産への登録も相次ぐなど、今まであまり目を向けられなかった産業遺産へ注目が集まりそうですね。

(続く)