*可睡斎の記事もご参照ください。秋葉寺のあった地には、新たに火之迦具土大神(ほのかぐつちのおおかみ)を祀る秋葉神社が建てられました。 しかし、三尺坊の去った秋葉山は、神官と僧侶の対立などゴタゴタが続き、明治6年(1873)と太平洋戦争中の昭和18年(1943)に社殿が炎上、特に昭和の火災の後は復興再建もままならず、結局麓に下社を造営して、祭祀を継続することとなりました。 こうして造営された下社の入り口。 かなり鄙びた様子です。横は「門前旅館」というお店があります。 あ、でもいい雰囲気。 社殿に着きました。 境内地・社殿ともに、かなりこじんまりとしています。 それでも巫女さん、神職さん、ともにかなり多く常駐していたのには驚き。 その後、山上の社殿(上社)が再建されたのは、昭和61年(1986)のこと。 かなり最近ですね。 車道(林道)の整備がされたことによって、可能になったようです。 戦後になって「秋葉山本宮秋葉神社」と改称しています。 山上の上社の造営で、いわば用済みとなってしまった下社ですが、こうして今は山上の上社、麓の下社の二つあわせて秋葉山本宮秋葉神社となっています。 ところで上社の駐車場の奥は川に面したキャンプ場となっています。 時間はなかったのですが、ちょっと降りてみました。 川に降りるというのは、なんだかずいぶんと久しぶりのこと。 天竜の山奥の雄大な自然を感じると同時に、少し懐かしく、それでいて夏の終りの寂しさも漂っていました。 キャンプ場で、キャンプをしていた子どもたちも、残り少ない夏休みを前に、そんな気持ちであったのでしょうかね・・・ 上社に向かう前に、表参道の方もちょっと見てきました。 自動車が通行できる林道が整備される前は、この表参道を登山するしか山上へ行く方法はなかったようです。 この橋は、表参道の入り口となる九里橋(くりはし)。 一里はだいたい4kmほど。9里だと9×4=36kmほど。 さすがに、山上まで36kmもありません。 この橋の名の由来は、浜松宿より9里、掛川宿より9里という意味らしいです。 かつて多くの秋葉参りの人びとが通ったであろうこの場所は、今はひっそりとしていました。 (つづく)
・静岡に行ってきた3(可睡斎本堂)
・静岡に行ってきた4(秋葉三尺坊大権現総本殿)
秋葉山本宮秋葉神社へ行ってきた2(下社~表参道九里橋)
東雲名(ひがしうんな)から下社へ向かって西へ車を進めます。距離にして10kmぐらい。たいしたことないだろう・・・と思ってたら、片道で40分ほどかかりました。なにしろ下社への道は狭隘(きょうあい)な林道に近い道で、カーブも多く、非常に難儀しました。よく考えたら、下社へ先に行くのなら、途中で国道362号線を使った方がよかったようです・・・
ともかくも狭隘な道に難儀していると、運の悪いことに狭い場所で対向からダンプカーがやってきました。
こちらは狭いトンネルから出た直後ということもあって、バックはあまりやりたくない。
そこですれ違うことを選択しましたが・・・道はかなり狭い。
両者ともなんとかすれ違おうと、互いに車をいっぱいいっぱい脇に寄せますが、どうにもこうにも抜けられない。
私の方も、左の崖ぎりぎりに車を寄せるのですが、タイヤが何かにあたった感覚があり、これはもうだめだ・・・と思いました。
もはや前へ進むことも、バックもできない状況に!
しかし、無意識のうちにハンドルを逆に切ると、タイヤが何かに乗り上げるということもなく、前に進みました。
ここに活路を見いだして、ダンプカーの後方に向けてゆっくりゆっくりと車を進めると・・・なんとか脱出できました。
というわけで、東雲名―下社間の道はかなり離合が難しい場所もあるので、注意が必要です。
そんな苦労をして、40分ほどかけてようやく下社表参道の駐車場へ。
ここはトイレもあり、秋葉山登山の拠点となる駐車場のようです。
・・・ですが、下社の入り口はもうちょっと先だったので、車に乗り込み、下社前の駐車場へ移動。
こうして、ようやく第一目的地に着きました。
これは火でも焚くのでしょうか?さすが火の神様。
由緒が書かれています。【クリックで拡大】
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秋葉山本宮秋葉神社は、もとは秋葉山(あきはさん)に対する信仰でした。
しかし、その後、火伏の信仰は、三尺坊(さんじゃくぼう)という天狗になり、その別当寺の秋葉寺(しゅうようじ)が中心となります。
この神仏習合の形態は、例によって明治の神仏分離で否定されることとなります。
秋葉寺は廃寺となり、秋葉寺に祀られていた三尺坊は袋井の可睡斎へと移されます。