先々月のことですが、所用があり、四国に行ってきました。一日休暇があったので、愛媛・松山に繰り出すことに。記事にする内容は、特にないのですが、撮った写真を見ていたら懐かしくなったので、記録用にアップすることにしました。
宿泊地から予讃線の特急「しおかぜ」号に乗って、いざ出発です。
四国の鉄路は、特急街道と言うか、四国各地にいく特急がバンバン走ってます。
そのわりに単線区間が多く、あちこちですれ違いがあり、あんまり速くはないようです。
ま、長時間の運転停車も旅情の一つと言いますか、のんびりしてていいんですけどね。
備讃瀬戸や燧灘の沿岸部は車窓も綺麗ですし。
やってきたJR四国の特急「しおかぜ」号。
これは電車ですが、四国内は高知県や愛媛県の一部で非電化区間があることもあり、気動車特急も走っています。
首都圏では気動車特急というのは、なかなかないので、新鮮でした。
同じディーゼルでも、バスとかトラックとはちょっと違うエンジン音が私は好きなんです。
そんなわけでやってきた新居浜駅。
新居浜という町は、江戸時代以来、別子(べっし)銅山を抱え、明治以後は住友財閥の企業城下町として栄えました。
愛媛県内では県都の松山、造船とタオルで名高い今治に次ぐ大きな町です。
現在でも隣の西条市にかけての沿岸部には住友化学をはじめ、住友金属鉱山、住友重機械工業などの事業所・工場があります。
そんな新居浜の発展に貢献した一人の男がいます。
その名は広瀬宰平(ひろせさいへい)。
初代住友総理人。
総理人というのは、住友家の経営のトップにあたる人らしいです。
近江国(現在の滋賀県)の生れで、幼名は駒之助といい、11歳の時、叔父に連れられ、別子銅山に奉公に来ます。
その後、元住友江戸店の支配方であった広瀬家の養子に入り、宰平(さいへい)と名を改め、住友家に奉公に出るわけですが、彼は非常に合理的、先進的な考えをする人であったらしく、別子銅山の新政府への接収を防いだり、別子銅山に鉱山鉄道を導入したりと、別子銅山と住友の発展に尽くしたようです。
住友家当主からの信頼も厚く、当主の病気により、当主の代理人として住友家の経営のトップに任じられています。
住友財閥の発展に大いに貢献した人物と言えるでしょう。
その宰平を顕彰するために建てられた広瀬記念館にやってきました。
新居浜駅からタクシーで20分ほどの場所にあります。
宰平一家が住んでいた旧広瀬邸と隣接して建てられた展示館からなります。
以下、写真です。
展示館はとても立派で、広瀬宰平の事績がよくわかります。
旧広瀬邸では明治期の建築と生活の様子がわかります。
近代建築ですが、とても趣があり、静かで素晴らしい場所でした。
しかし、これだけ立派な施設なのにもかかわらず、見学者が私たちだけ・・・
これはちょっともったいない気がしました。
でも、邸内はよく手入れされ、静かで落ち着ける非常に良い場所でした。
逆に他の観光客が多かったら、この感動は味わえないので、一長一短というか、いろいろ複雑な思いでした。
新居浜という町は、その存在は前から知っていましたが、こんな場所とは知りませんでした。
別子銅山にも見学用のテーマパークがあるらしいので、今度行ってみたいと思いました。
(松山編へ続く)