類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

大山に登ってきた4(アクシデントと日向薬師への道)

私たちは、見晴台へ向けて下りていきました。途中は写真を撮る余裕もないくらいの険しさ。それに雪と泥に疲労も増します。何度か滑りそうになったり、転びそうになったり、いろいろ危険でした。それでもなんとか見晴台に下りて来ました。ここから阿夫利神社下社までは30分。あと少し、ということで、この見晴台でお菓子や水分を補給します。談笑しながら、体力を回復させ、出発しましたが・・・ IMG_6743.JPG なんと下山道の途中の木にロープが貼ってあり、次のようなことが書いてありました。
この先、登山道崩落のため、対処するまで下社~見晴台の間は通行止めにします。
〔参考〕大山の登山道が大雪で斜面崩落、一部通行止め/伊勢原(カナロコ1月25日配信) がーん・・・ そんな、今頃言われても・・・山頂で告知しといてくれよ・・・ どうする?いままで来た道を戻るか・・・ しかし、いままで来た道は雪も深く相当の悪路。あそこをまた上ることは・・・。 友達と相談を重ねましたが、結論が出ません。 他に道はないか・・・と考えると、下社方面以外にも見晴台から日向薬師方面へ道があることがわかりました。 地理はこうなっています。 私たちは、左側の大山から少し下りたところにいて、本来は阿夫利神社駅まで行く予定でしたが、登山道の崩落により、大山山頂に戻ってもと来た道を下山するか、北側の日向地区へおりるルートを降りるかのどちらかを迫られる結果となりました。 協議した結果・・・ ・いままで下りてきた道は相当の悪路である。 ・このまま大山山頂へ戻るルートをとると、ここまでのコースタイム(3時間)を考慮すると、日没の可能性がある(ヘッドライトは小型のものを一個しか携行していない)。 ・日向薬師への道は4.2kmほどだが、確実に下に向かうので、日没の危険性は少ない。 ・日向薬師からもバスの便がある。 と考え、日向薬師方面へ向かうことにしました。 IMG_6744.JPG それでこっちは人が少ないわけだ。しかし、みんな登山道の崩落をどこで知っていたんでしょうかね? しかし、結果的にこの選択は大正解。 日向薬師への道は、雪もなく、比較的なだらかな道が続きます。 1時間ほどで林道へ出てきました。 IMG_6747.JPG 静かな林道の脇でしばし休憩&水分補給。 IMG_6748.JPG そこから無事に日没前に麓へおりることができました。 しかし、足は相当疲労が・・・ 下りてくるとすぐに道路に出て、浄発願寺(じょうほつがんじ)の奥ノ院につきます。 IMG_6750.JPG 説明版【クリックで拡大可能】 IMG_6749.JPG
浄発願寺(じょうほっがんじ)奥の院
 無常山浄発願寺は、慶長13年(1608)弾誓上人開山の天台宗弾誓派本山である。上野寛永寺の学頭寺(がくとうじ)凌雲院(りょううんいん)の末寺として、江戸時代に繁栄し、4世空誉(くうよ)上人の時代が全盛期だった。「男の駆け込み寺」で知られ、放火・殺人以外の罪人は駆け込めば助かった。また、木食行(もくじきぎょう)(穀物をさけ、木の実・草の実などを火を通さないで食べる)の戒律を大正初期まで守り続けた。さらに、雨乞い・安産信仰等でも知られ、10月の「お十夜法要」は、鎌倉市光明寺平塚市の海宝寺とともに相模の三大十夜に数えられ、昭和初期まで盛大であった。
 信者には、公家の広幡家や、徳川本家、尾張徳川家、藤堂、佐竹、大久保、黒田、有馬、織田氏等があり、境内は165,600坪もあった。寺宝としては、市重要文化財の縁起絵巻三巻や、雨乞軸、唐金の子安地蔵、出山の釈迦像など、数多くの像がある。昭和13年(1938)の山津波で、この地にあった浄発願寺は、諸堂宇が潰滅し、当地に復旧困難なため、昭和17年(1942)に約1Km下の地に再建し、以後この地は浄発願寺奥の院と称し、市指定史跡にもなっている。
 この地には、弾誓上人が修行した岩屋や、罪人53人に一段ずつ築かせた石段(平成3年/1991/3月再建)等があり、参道には浮世絵師歌川国経の供養塔(現在は浄発願寺に移してある)や極楽浄土に往生できるよう祈願した「南無阿弥陀仏」の名号碑などがある。

浄発願寺というお寺は、弾誓(たんせい)によって慶長13年(1608)に開山した天台宗の寺です。弾誓は、木食(もくじき)という修行をした僧侶と言います。木食とは、木の実や草しか食ないで修行をすることを言い、これをやった人のことを木食僧、あるいは木食上人と呼んでいます。また他にこのお寺で特徴的なのは、「本堂下の五三段の石段は、空誉に預けられた五三人の罪人が一段ずつ築いたといい、以後放火・殺人以外の罪人は当寺に駆込むと保護されたと伝えられる」(『神奈川県の地名』)という罪人版の駆け込み寺という点です。 そんな浄発願寺ですが、昭和13年(1938)に山津波(大規模な山崩れ)に襲われ、以後この地に再建されることはなく、ここから下流側に移転しました。 もとあった場所は、「奥ノ院」として痕跡や遺構が残っているようです。 IMG_6751.JPG お地蔵さん。首がなくて少し怖いです。 IMG_6753.JPG 少し歩くと、今度は石雲寺というお寺があります。 IMG_6756.JPG 石碑には次のことが書かれていました。 IMG_6755.JPG
石雲寺(曹洞宗
 山号は雨降山、寺伝では壬申の乱に敗れた大友皇子が日向の地に隠れ住まわれ没後皇子の菩提を弔うために養老二年(七一八)華厳法師がこの地に開創した雨降院が石雲寺の前身とされる。
 雨乞い信仰に関係して雨降石が御神体の石尊社が境内の一角に有る 江戸時代の初め大山寺との雨降石の争奪戦で石雲寺本堂が大山寺の衆徒に焼かれてしまったと言う
 末寺には二宮尊徳菩提寺である栢山の善栄寺を始め五ヶ寺がある 小田原北條氏の信仰も厚かった
 平成五年四月 石雲寺二十八世義仙代
さらに下ると、移転した浄発願寺があります。 IMG_6757.JPG 説明版【クリックで拡大可能】 IMG_6759.JPG 川沿いに突然現れる三重塔などの伽藍に驚きつつも、正直疲れていてどこもあまりちゃんと見て回れず・・・ IMG_6761.JPG なんとかバス停にたどり着きました。 IMG_6762.JPG 日向薬師も行ったことがなかったのですが、とても見る元気はなく・・・ というか、下社に戻れなかったので、大山寺も見ることができず・・・ まあ、しかたがないです。また行くしかありません。 そんなこんなでバスを待ったのですが、運よく5分ほどでやって来ました。 IMG_6765.JPG 今回、大山フリーパスという小田急線の駅で売っているフリーパスを使いました(大山フリーパス)。ここ日向薬師から乗るバスもフリーパスの範囲内であったのが助かりました。 このバスで伊勢原駅へ向かいます。 IMG_6766.JPG 疲れたけど・・・すごく楽しかった上、良い運動になりました。でも翌日は筋肉痛に悩まされました(笑) IMG_6767.JPG (おわり) 〔関連記事〕 ■アーカイブ「神奈川県」タグ「登山」大山に登ってきた1(伊勢原駅~阿夫利神社駅)大山に登ってきた2(大山の信仰)大山に登ってきた3(大山山頂へ)