ケーブルカーで登りつめた
大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)は、大山の中腹に位置します。
大山阿夫利神社は、「
延喜式」にも見える古社ですが、当然いまの体制は明治の
神仏分離を経た
神道に置き換えられています。大山の信仰は、かつては「石尊大権現(せきそんだいごんげん)」と呼ばれる
神仏習合の形態でした。
神仏習合の時代に、神社を管理したお寺を
別当寺と言いますが、
阿夫利神社の
別当寺は大山寺(たいさんじ、おおやまでら)で、一体となった信仰を形成していました。また大山寺は中世以来、
修験道(いわゆる山伏)の中心となりました。そして、江戸時代には大山詣が盛んになっていきます。
大山に対する信仰は、非常にいろいろあるのですが、一番有名なものが農業の神であることです。これは大山の別名、阿夫利山という名前にヒントがあります。あふりやま、あふりやま、雨降り山・・・、つまり大山は農作物を育てる貴重な雨の神様であったのです。
鳥居には「天下泰平」・「国家安穏」とあります。正面に本殿があります。
こういったわけで江戸期以降、関東一円には、大山を崇敬する大山講が形成され、大山に登拝する人たちの道は「大山道(おおやまみち、
大山街道とも)」と呼ばれるようになりました。江戸から大山に至る道はたくさんありますが、この中で東京や神奈川の人たちに一番なじみ深いのが、「ニーヨンロク」の通称で知られる
国道246号線です。江戸期に整備された
東海道の
脇街道「
矢倉沢往還(やぐらざわおうかん)」は、同時に大山参詣の道として栄え、その後、
国道246号線がほぼこの道に沿って整備されました。今でも古い道標などによって世田谷区や
川崎市などで大山道の痕跡を見つけることができます。
こういった大山に対する信仰ですが、明治の
神仏分離によって、大山寺と
阿夫利神社は切り離され、石尊大権現は
大山阿夫利神社に改称、大山寺の不動堂は現在地におろされ、かつての大山寺の位置に
大山阿夫利神社下社ができ、山頂を上社とする現在の体制が出来上がりました。
そんな
大山阿夫利神社は、現在は例に漏れることなくパワースポットとして有名ですが、本殿脇にはこんなものがありました。
大山名水 神泉
浄き明き直きを象徴する神の恵の泉で湧き出るお水は、山内只一ヶ所の貴重な水源より引水いたしました。最も清らかな尊いお水です。水は万物の生々発展の原動力であります。殖産の泉、長命延寿の泉として御愛用ください。
なんかすごい水・・・らしいです。
さらに奥へ進むと、宝物殿的なところに出ました。
大山には、「納め太刀」という習慣があり、現在も地元の
観光協会の主催で夏に行事として行われています。
これは昔、
鎌倉幕府を開いた
源頼朝が武運祈願のため
阿夫利神社に太刀を奉納したのにならい、江戸時代になって庶民の間で願い事を書いた木の太刀を奉納し、別の太刀をもらって翌年また奉納する習慣が流行したことに始まっています。
最近になって復活したとは言え、奉納される大きな太刀にはいまだに「石尊大権現〔大天狗・小天狗〕所願成就」の文字が見え、石尊権現はいまだに現役なようです。
【参考】タウンニュース伊勢原版 2011年7月29日号
ちなみに大天狗、小天狗は
阿夫利神社の摂社に祀られていたものです。このブログでたびたび取り上げてきた明治政府による宗教政策前の、日本の仏教、
神道、
民間信仰が混在した宗教は妙に私をゾクゾクさせます。そして、いま少しでもその痕跡を見つけるのがうれしくてたまりません。
さて、こうして下社でお参りをして、登山の無事を祈りつつ、いよいよ登山道へ向かいます。
(つづく)