穴守稲荷に行ってきた(私鉄と神社の関係性)
川崎大師の帰り道。やってきた電車はエアポート急行・羽田空港行きであったので、そのまま京急蒲田を乗り越して、京急空港線・穴守稲荷駅で降りました。現在でこそ京急空港線は、羽田空港へのアクセス路線として機能していますが、羽田空港の前身となる羽田飛行場の開港(1931年)よりも、先にこの路線は存在しています。実はこの空港線の前身は、穴守稲荷への参詣客輸送のための支線であったのです。そして、京急が羽田空港に乗り入れるのは意外に遅く、現在の羽田空港駅が開業したのは1998年のことでした。ここにも私鉄と寺社の関係性が見えています。
そんなこんなで穴守稲荷駅。駅前にはさっそく鳥居があります。
しかし、穴守稲荷の場所は、昭和20年(1945)の敗戦後に空港の拡張整備のため、遷座を余儀なくされており、場所が変わっています。駅から約5分ほど歩くと、その参道に着きます。
川崎大師の繁盛っぷりから一転、こちらは実に閑散としています。
穴守稲荷の名称は、堤防に開いた穴の害から人々を守った神徳によるもの、と伝えられています。
神社の説明書き【拡大可能】
本殿。
この通り、現在の穴守稲荷は街中の鎮守様といった感じですが、遷座前は潮干狩り、海水浴などの娯楽に合わせて、温泉旅館や芸者屋などが立ち並ぶ繁華の地となっていたようです。現在でも付近は下町の雰囲気を残していますが、穴守支線はそういった客を運ぶための路線であったのです。
この神社がもう一つ特徴的なのは、社殿脇にある奥の宮。
朱塗りの連続鳥居は、お稲荷さんの特徴ですが、妙におどろおどろしい雰囲気です。
ドキドキしながら進むと・・・
こんな感じの社殿があり・・・
なんか鳥居がいっぱい奉納されていました。もはや奉納なのか、捨てられているのかわかりませんが・・・
この奥の宮、「お穴様」と呼ばれており、ここの砂を持って帰るといいと言われているそうです。
なぜか行った時は、二組のいずれも若いカップルがなにやら熱心に拝んでいました。
何かカップル向けの神徳があるのでしょうか・・・
穴守稲荷、前から気になっていたから、ちょっと寄ってみたけど・・・
お守りが高かった・・・ぶっ飛んでいった野口英世。貧乏人には辛い、いやむしろこの不景気にしては強気な値段設定。しかし、どこでも売ってそうな守り袋より、300円の「お姿」(神仏の絵を描いたお札)を買うべきでした。ちょっと珍しいお札だったので・・・
(おわり)