満徳寺を出た私たちは栃木県の足利へと車を向けました。途中、県境は複雑で何度も栃木県に入ったり、群馬県に戻ったりとしていましたが、やがて太田の中心部に着きました。ここのあたりから次第に車のナンバープレートは「群馬」と「とちぎ」が混じり合ってきました。両毛って感じです。太田からは交通渋滞もあり、足利までは結構時間がかかりました。 それでもなんとか3時くらいには足利市街地へ到達しました。ここで足利学校や鑁阿寺(ばんなじ)を見学する予定でした。ところがここでお昼をずっと食べていなかったので、「あしかがハーベストプレース」で食事をしたのですが、これが大失敗。意外とここで時間を使ってしまい・・・
観光駐車場がある足利市観光協会の「太平記館」に着いた時、駐車場の整理員のおじさんは「(足利)学校は4時で閉まるので急いだ方がいいですよ」と言いました。 この時点ですでに4時。私たちはもうあきらめて、「せめて門の前だけでも」という気持ちで学校に向かうと・・・
思いのほか、駆け込む人が多かったので私たちも係員の人に「まだ入れますか?」と聞くと、「まだ入れます」ということだったので、チケットを買いました。
そんなわけで滑り込みでセーフ。私たちのあと、門は閉まりました。そこから30分後の閉館時間まで駆け足での見学です。
足利学校は、日本で最も古い学校です。学校と言っても、小中学校のようなものを想像してはいけません。 儒学や兵法術などを教えていましたので、どちらかと言えば大学に近いものと思われます。 ところが創建年代はぜんぜんわからず、だいたい鎌倉時代頃と考えられています。 いったん衰微しましたが、室町時代には上杉憲実によって復興し、有能な人材を輩出したようです。
しかし、現在足利学校と言っていますが、正確には足利学校「跡」でして、江戸時代には再び衰微し、明治初期に廃校となりました。
とにかく駆け足での見学で残念でしたが、はるばる足利まで来たので見れただけでもよかったことにしましょう。
綺麗なお庭や・・・
そしてすぐに暗くなり始めました。
最後に象徴的な学校門を撮り終えると、すっかり夕闇があたりを覆い尽くしていました。
本当は足利市街地をブラブラ歩くつもりだったのですが、日没タイムアウト。 冬はやはり活動時間が短くなってしまいます。 しかし、足利という町は街並みがなかなか美しい町でした。 道路も広く綺麗に整備され、なかなか特徴のある町です。 街路樹のクリスマス・イルミネーションがそれに輪をかけて美しいものとなっていました。 その足利にゆかりの音楽作品に、森高千里さんの「渡良瀬橋」という歌謡曲があります。 市内を流れる渡良瀬川の渡良瀬橋を舞台にした歌です。
非常に古風で純情で切ない物語ですが、私は大好きです。 そんな足利に行ったついでに、八雲神社や公衆電話を見てみよう、そして最後に渡良瀬橋に落ちる夕日を見てみたい、と思ったのですが・・・そんなこんなな慌ただしい足利学校の見学を終えた頃には、夕焼けどころか、もうすでに日はとっぷりと暮れていました。 暗くて渡良瀬橋のシルエットすら見えないと思い、寒いのであきらめて東京に帰ることにしました。 ちなみに帰途、渡良瀬橋は車で通りましたが。 でも、足利は本当に綺麗で美しい町でした。だからまた、日をあらためて足利観光をしようと思います。 今度は渡良瀬橋に出てくる男の人になぞらえて、電車でやってくるのもいいかなと思っています。
(おわり)
※追記 2012年12月9日未明、「渡良瀬橋」に出てくる「八雲神社」の一つとされる足利市緑町の八雲神社から出火し、本殿などが全焼してしまったそうです(12月11日付下野新聞Web版)。残念としか言いようがありません。行ってみたかったのに・・・ 不審火という噂もあるので怖いですね。まあ、とにかく燃えてしまったからにはしかたがないので、社殿再建の動きがあればいいなぁと思います。一報を耳にした時には森高さんもショックを受けたそうです。 ところで全国各地にある八雲神社は「やくもじんじゃ」と読む場合が多く、足利市内の八雲神社も濁らないのですが、なぜか森高さんはかたくなに「やぐもじんじゃ」と歌うのはなんでなんでしょうね。