類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

両毛に行ってきた2(世良田東照宮・長楽寺)

新田荘歴史資料館から歴史公園内を歩いていくと、世良田(せらだ)東照宮があります。江戸幕府を開いた徳川家康は、もともとは三河国の岡崎の生まれで松平姓だったのですが、桶狭間の戦いを経て、信長と同盟中の永禄9年(1567)に徳川と改姓します。徳川(もとは得川)姓は先の新田庄の新田義重の四男義季に始まる一族で、家康は自分はこの一族の血をひいている・・・ということにして、新田流の源氏を自称するのでした。 IMG_6479.JPG 言わば先祖の系図を作り変えてしまった家康ですが、そんな事情もあってここ得川氏ゆかりの地である世良田(せらだ)を自分の「祖先の地」として大事にします。世良田には義季が作ったお寺、長楽寺がありました。この家康の死後、この長楽寺内に家康を祀る東照宮が勧請されました。これが世良田東照宮です。 IMG_6480.JPG だいたい社殿等は見えますが、近くにある社務所に拝観料(300円)を納めると、柵の中に入ることができます。 入ると脇に宝物館があり・・・ IMG_6483.JPG 系図がありました。家康はこういうことにしたのです。【クリックで拡大】 IMG_6484.JPG 東照宮の拝殿です。日光の東照宮よりも落ち着いていますが、装飾が艶やかです。重要文化財です。 IMG_6497.JPG 拝殿の裏に回ると・・・ IMG_6487.JPG 本殿。拝殿と同様、重要文化財です。 IMG_6488.JPG 東照宮を後に歩いていくと、長楽寺の三仏堂があります。 IMG_6506.JPG 袴門。 IMG_6510.JPG こちらは本堂。 IMG_6527.JPG 長楽寺は、もともと臨済宗禅宗)のお寺で鎌倉時代はなかなか栄えていました。江戸時代になり、天海により天台宗となりました。戦国時代のこの寺の住職、賢甫義哲(けんぽぎてつ)の日記である『永禄日記』が残されています。この日記は起床時間、食べていたものとか、病気のこととか、当時の社会や生活を知るいろいろ貴重で面白いことが書いてあります。気になった方は『群馬県史』を読んでみるといいと思います。 公園内は静かで・・・ IMG_6529.JPG まだまだ紅葉も楽しめました。とても静かで長閑で良いところでした。 IMG_6532.JPG (つづく)