類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

両毛へ行ってきた1(新田荘歴史資料館)

群馬県という県は、南関東の人間にはやや遠いイメージがありますが、実はそんなことはなくて鉄道だったら高崎線、自動車だったら関越自動車道でだいたい東京から2時間圏内に位置しています。

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しかし、その群馬県の都市というのはだいたいが埼玉寄り、つまり南側に集中しています。県都前橋や、上越線を分ける第二の都市、高崎をはじめ、藤岡、伊勢崎、太田、桐生、大間々、館林とみな南側に位置しています。この群馬県南部ですが、利根川をもって埼玉県と境を成しているのはいいのですが、実は結構東側へ張り出しており、栃木県境と複雑に絡み合っています。この地域のことを両毛地域と言います。両毛とは、昔の国名、上毛野国(こうずけのくに=今の群馬県)と、下毛野国(しもつけのくに=栃木県)にまたがる地域という意味で、現在もJR両毛線などでその名を知られています。 ====

両毛地域は、主な都市で言うとさきほどの太田、桐生、大間々、館林など群馬県側の都市と、佐野、足利といった栃木県側の都市で構成されています。こういった町は、古来より北関東の重要地であり、歴史上の舞台となってきました。当然、史跡も多いのでかねてより行こうと思っていましたが、機会があったので休日を利用して車ででかけてきました。 関越→花園ICでいつもの秩父方面ではなく、反対側の深谷方面へ向かい深谷市街地を抜けて、利根川を渡り、群馬県太田市に入ります。 そして、まず着いたのは、群馬県太田市にある新田荘歴史資料館(旧東毛歴史資料館)です。このあたりは、旧尾島町で中世の荘園、新田庄(にったのしょう)の一部でした。 資料館は歴史公園と呼ばれる一角にあり、ここの駐車場に車を止めます。 IMG_6469.JPG

駐車場は広くて安心です。

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資料館。結構立派で、雰囲気が出ているいい建物です。 IMG_6475.JPG

前には鎌倉時代の武将、新田義貞(にったよしさだ)の像がありました。 IMG_6474.JPG

このポーズは、元弘3年(1333)に義貞が鎌倉攻め(後醍醐天皇鎌倉幕府討幕運動に参加して、鎌倉を攻めた戦い)の時、稲村ケ崎で海神に祈りを捧げた伝説に基づくものです。

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その新田氏というのは、ここ上野国新田庄を開発した一族でした。開発した源義国源義家の三男ということで源氏の一族です。しかし、その子、義重は頼朝が治承4年(1180)に挙兵した際に、なかなか態度を明確にせず、頼朝への参陣が遅れてしまいました。このため、新田氏は同じ北関東の源氏の足利氏と比べて、疎まれてしまいました。新田を名乗った義重から数えて8代目の当主が義貞です。 この資料館では、その義貞や新田氏、新田庄に関するものが展示されています。 (つづく)