類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

蔵王に行ってきた2(蔵王町遠刈田温泉の刈田嶺神社)

蔵王町宮地区にある刈田嶺温泉から、北へ車を走らせるとやがて遠刈田温泉(とおかったおんせん)地区につきます。名前の通り温泉地で、「神の湯」という共同浴場があります。旅の疲れを癒す、というか、最近ドライブには必ず日帰り温泉をセットにしているので、入ってきました。共同浴場なので300円とリーゾナブルです。しかし、石鹸を持参するのを忘れました・・・タオルは用意していたのですが・・・そこまでは気が回らず。

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その遠刈田温泉にも刈田嶺神社(かったみねじんじゃ)という名の神社があります。ちょうど「神の湯」の背後にあたります。

 

鳥居の脇を温泉水が流れ出ているらしく、湯気があがっていました。

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静かな境内に良い感じの社殿があります。

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境内にあまり人はおらず、近くの温泉地の賑わいを聞きながらのんびりとお参りです。

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社殿には・・・

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刈田嶺神社」とあります。

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変な狛犬(?)いや、カエル?

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こっちはちゃんとしています。「がおー」と聞こえてきそうな迫力。

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こちらの刈田嶺神社は、実は里宮です。 里宮というのは、山に祀られた神社で参詣が楽になるように、里に設けられたお宮のことで、山にある本宮や奥宮に対して言います。刈田嶺神社の奥宮は、刈田岳の山頂(住所としては宮城県刈田郡七ヶ宿町)にあり、冬の期間はこの里宮に遷座(神様がお移りなること)します。 刈田嶺神社はかつては蔵王権現社と言い、蔵王権現(ざおうごんげん)を祀っていました。蔵王権現とは仏教の仏でも、日本の神様でもない、日本独自の宗教、修験道(しゅげんどう)の神さまで、吉野の金峯山を中心にその信仰がはじまりました。この蔵王権現を刈田岳に祀ったので、この山を蔵王山と呼び、いま蔵王連峰と呼ぶようになったというわけです。つまりいまスキー場で有名な蔵王の地名の由来がこの遠刈田温泉刈田嶺神社にあるというわけですね。明治時代になって神仏分離令がなされ、日本の神道と仏教他いろいろなものを混ぜてはいけないという政府の通達が出ました。これによって蔵王権現社は、天之水分神(みくまりのかみ)、国之水分神(くにのみくまりのかみ)の二柱を祭神に変更し、名前も水分神社(みくまりじんじゃ)、さらには刈田嶺神社と変更しました。これが現在の刈田嶺神社となります。 ちなみに先に訪れた宮地区の刈田嶺神社は、蔵王信仰とは別のものです。しかし、どちらも刈田の山、つまり刈田嶺に対する信仰だから、どちらも刈田嶺神社というわけですね。この複雑な事情は、自分も実は東京に帰って調べるまでよくわかっていませんでした。不思議だけど祭神の違う同名神社が同じ町内にあるというケースはなかなかなく、面白いです。 さて、ちなみに「神の湯」周辺には有料、無料駐車場が点在していますが、どこも賑わっており、なかなか大変です。 その中心部からちょっと離れたところに町営無料駐車場なるものがあり、そこはガラガラでした。

 

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ここに止めると、中心部まで交通量が多い上、歩道がほとんどないおっかない道を歩くはめになりますが、あまりにも駐車場が混雑している場合は、こちらに止めた方がいいかもしれません。 ちなみにこれが借りたレンタカー。初代のスイフトです。

 

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ここから友達から代わって私が運転しましたが、速い!軽い上にパワフルなエンジン。さすが初代でもスイフトという感じでした。 ここから蔵王エコーライン蔵王ハイラインを経由して、件の刈田嶺神社の奥宮がある刈田岳の山頂へ向かいました。かなり上がるので、標高が高くなるにつれだんだんと寒くなっていきます。

 

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着いた駐車場。霧に覆われています。交通整理のガードマンたちが気の毒でなりませんでした。

 

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というか、寒い!寒すぎる!里はまだまだ陽気な日差しだったのに、ここは極寒。 レストハウスに逃げ込み、熱々のたまこんにゃくを食べましたが・・・ 結局、寒くて駐車場から歩いて15分ほどの奥宮は断念。そもそも霧で見えません。

 

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蔵王のお釜も綺麗でしたが、近づけず・・・

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車に逃げ込み、エンジンをかけます。

 

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だいぶ下ったところでひと段落。夏だったらよかったんでしょうが、秋の初めの山頂は、ダウンジャケットが必要なレベルです。

 

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こうして私たちは仙台に戻り、その日の夜は友達の家に泊めてもらいました。

(つづく)