この日は
竹生島に行く予定でした。朝、宿を出ると私たちは長浜港に向かいました。泊まっていたホテルから長浜港は歩いて10分ほどだったので、ホテルの駐車場に車を止めたまま歩いていきました。しかし、この日は朝からすごい雨。出るときはやや小降りになったとは言え、せっかくの旅なのに雨とは・・・となんとなく気分が落ち込みます。
それでも観光船は出ているようなので、切符を買い、船を待ちます。
竹生島への航路は、ここ長浜だけでなくマキノ・今津・
彦根などあちこちから出ているようです。しかし、
竹生島に一番近いと思われる長浜港からも30分ほどかかります。近いように見えて意外と遠いようです。
待合所でいろいろパンフレットなどを見ているうちに船が来たので乗り込みました。
長浜港をあとにします。
船はゆっくり転回するとまっすぐと
竹生島へ走り出します。雨は相変わらず降り続いています。
しかし、
竹生島に向かうにつれ雲の切れ間が見え、雨が弱くなっていきます。
青い空が見えてきました。
なんということでしょう。
竹生島に着くと晴れました。これは私の普段の行いが良いからです。
こうして
竹生島に上陸しました。これが乗ってきた観光船です。
竹生島です。人の立ち入る場所は島の南側に集中しており、北側は手付かずです。まるで建物が張り付いているような光景です。
竹生島に入ってお土産屋さん街を抜けると、入島料というか、拝観料をとられます。
そして、この階段の前に来ます。
[スポット] 竹生島(ちくぶしま)(滋賀県長浜市)
琵琶湖の北部、長浜市の沖合に浮かぶ島。普段は人は住んでおらず、神職や店舗の従業員などはすべて島外から通っているので、無人島である(琵琶湖の唯一の有人島は近江八幡市沖の沖島だけである)。
古来より神の住む信仰の島であり、弁財天の信仰で栄えた。北近江の戦国大名浅井長政の父、久政がこの島に幽閉されたこともある。現在の宝厳寺(ほうごんじ)は、もともと竹生島明神(現在の都久夫須麻神社、つくぶすまじんじゃ)の神宮寺として建立されたもので、竹生島観音として知られる西国三十三箇所三十番札所である。明治の神仏分離では大打撃を受け、現在の宝厳寺は近代以降の建物が多い。宝厳寺の唐門は京都にあった豊国廟の遺構、都久夫須麻神社本殿は伏見城の遺構でともに国宝。
平安期以降、日本では
神仏習合という神様と仏様を一緒に信仰する形式をとっていました。
竹生島の信仰は、もともとは島自体を信仰していたものでしたが、この
神仏習合で
竹生島の神様の本当の姿として弁財天があてがわれ、両者は一体となった信仰を成していました。
しかし、明治時代になり、それを廃止し、神仏を分離するという政策をとった結果、各地で神社に付属する仏教的なものをいっさい排除するという運動が起きました。これを
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)と言います。
廃仏毀釈は完全に民間運動で、当時の政府がそう意図したわけではなかったのですが、地域による差こそあれ、激しい破壊が行われ、今思うと貴重な
文化財が多く失われました。
そこまで暴走した理由というのは、それまでの仏教勢力が持っていた特権に対する庶民や神官らの反動だったのです。
こうして
竹生島も寺と神社の区別が明確になされて現在の形となっています。
階段を登っていくと弁天堂に着きます。
弁天堂は1942年の建立です。
廃仏毀釈の影響で
竹生島神社を追い出された弁財天は、
観音堂などをウロウロしたのち、1942年にこの弁天堂が完成したのでここに安置されたわけです。
しかし、1942年という時期もなかなか大変な時代だったとは思いますが・・・
いよいよ天気は晴れて、蒸し暑くなってきました。
ツクツクボウシがいっぱい鳴いていました。
この塔にいたっては2000年の再建です。もとの
五重塔は江戸時代に焼失したままであったようです。
ここに来ると、
竹生島港がよく見えます。
宝厳寺の唐門(国宝)です。
この門は、もともとは京都の豊国廟(
豊臣秀吉のお墓)にあった門を移築したものです。ここから
観音堂、そして都久夫須麻神社の本殿へ続いています。
(追記。ちなみに前の部分だけが、国宝で後ろの観音堂は国宝ではないらしいです。)
唐門をくぐり、
観音堂の前を通り抜けると、この舟廊下(ふなろうか)と呼ばれる渡り廊下に出ます。
外から見るとこんな感じになっています。
なぜ舟廊下というかというと、
豊臣秀吉が
朝鮮出兵の際、自らが乗る船として作った船の材木をつかって作ったと言われる伝承があるためです。
これも国宝です。(※追記。船廊下は、国宝ではないそうです。現地ではそう表示されているので注意)
ここを抜けると、都久夫須麻神社の本殿(国宝)がある・・・のですが、惜しいかな、なんと行ったときは保存修理中でカバーで覆われており、かわらけ投げで有名な遥拝所もこの通りでした。
遥拝所@wikipedia
かわらけ投げというのは、お願い事と名前を書いたかわらけを投げるものです。
下にある石の鳥居の間をくぐると良いと言われています。
そんなこんなで
竹生島港の近くまで降りてきました。
私は小さな離島が大好きです。日常と隔絶されたのんびりさと海に閉ざされた独特の雰囲気がたまりません。
いくつか四国の小島も行ったことがありますが、
竹生島も少し似た雰囲気がありました。
もっとも
竹生島は人は住んでいませんので、生活感は味わえませんが。
そんなこんなでお昼頃、島を出る船に乗り込みました。再び長浜に帰ります。
湖から見ると遥拝所はこうなっています。
船が離れると、デッキから
竹生島の全体が見えました。
伏見城の遺構である都久夫須麻神社本殿が見られなかったのは残念でした。
しかし、そうなるとまた来なければなりません。
またいつか来ることを思いながら、私たちは長浜に戻るのでした。
(つづく)