類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

諏訪大社に行ってきた

黒部ダムの一連の日程の後、長野県に戻って諏訪大社へも行きました。諏訪大社とは勇猛な6年に一度の御柱祭(おんばしらさい)で有名で、全国にある諏訪神社の総本社にあたるわけですが、実は一つの諏訪大社という神社があるわけではなく、諏訪湖の周辺に点在する4つの神社をまとめて諏訪大社と言うのです。その4つの諏訪大社とは茅野市にある諏訪大社上社前宮、諏訪市にある諏訪大社上社本宮、下諏訪町にある諏訪大社下社秋宮、春宮から構成されており、上社と下社では祭神が微妙に違います。中核となるのは上社本宮のようです。 今回は下諏訪町の秋宮と春宮を訪れました。 IMG_5628.JPG 秋宮の境内は上の写真のような神楽殿があり、その奥に下の写真の幣拝殿(へいはいでん)・左右片拝殿(さゆうかたはいでん)という配置になっています。この配置は春宮と共通していますが、秋宮の方が神楽殿が立派な印象です。 IMG_5629.JPG こけら葺きの拝殿は立派です。暑くなければ何時間でも眺めていたほど良い社殿です。 拝殿は春宮と同じく江戸時代の建築です。 IMG_5630.JPG 諏訪の信仰は基本的には漁業や狩猟の神様に対するものなのですが、中世は広く軍神として崇敬されたようです。ただ、原初的には諏訪地方の土着の神々に対する信仰であったようで、これがのちに日本の神道に取り込まれていったということになろうかと思われます。詳しく知らないので推測に過ぎませんが、もとは自然に対する崇拝にような気がします。加えて中世は神仏習合の結果、普賢菩薩と同一視されるようになります。 こちらは下社春宮です。秋宮、春宮と名がつくのは、諏訪の神様が毎年8月から翌年の1月までは秋宮に、2月から7月までは春宮に祀られているからです。それを知ってか知らずか、私がいった8月は秋宮の方が賑わっていて、春宮は閑散としていました。 IMG_5637.JPG こちらも形態は秋宮と同じですが、神楽殿が少し質素です。 IMG_5636.JPG しかし、幣拝殿の構造はほぼ同じです。先にも述べた通り、こちらも江戸時代の建築です。 IMG_5635.JPG 同様に立派で美しい拝殿は何時間見ていても飽きません・・・ しかし、この日はとても暑く何時間も見ていられませんでしたが・・・ IMG_5634.JPG 諏訪神社は関東に多いような気がします。特にお膝元の長野県と、隣の山梨県にたくさんあります。 山梨県甲斐国)に多いのは、武田信玄が非常に諏訪信仰に篤かったからなのでしょうかね。 武田信玄は諏訪神号旗と呼ばれる「南無諏方(訪)南宮法性上下大明神」と書いた旗を戦場に立てていたことで有名です。 写真でご覧いただけた通り、非常に古風でひなびた印象の社殿が素敵な神社です。 神社好きな方や古建築が好きな方は諏訪地方へ行かれたら、一度お参りしてみるといいかもしれません。 私はパワースポットとかいうのは絶対に信じませんが、何となく諏訪大社を参拝してから運気が上昇してきた・・・ような気がします(笑) 公私ともども、ひどいことばかりあった去年、今年なだけに諏訪の神様にはなにとぞ今後は良いことがあるようにと、お願いをしてきました。 秋宮の周辺には名物「大社せんべい」や「塩羊羹」を売っているお店もあり、また諏訪は温泉でも有名です。自動車があれば、蓼科や霧ケ峰といった冷涼な高原もほど近く、私は諏訪地方は結構好きなのです。機会があったら上社本宮・前宮なども紹介したいと思います。 こちらは中央道・諏訪湖サービスエリア(東京方面・上り線)から眺めた諏訪湖です。 IMG_5606.JPG 諏訪湖から流れ出す川は天竜川で、岡谷から静岡の方へ南へ流れていきます。 諏訪は盆地で、夏は涼しくないです。また、冬季もそれほど雪が降るような様子には見えませんが、冬の諏訪湖は結氷することがあります。この湖に張った氷が、夜間に気温の低下で収縮してできる裂け目を御神渡(おみわたり)と言います。なぜ御神渡と言うかというと諏訪の上社の男神が、下社の女神に会いに渡った跡とする伝承があるためです。 里人が眠った夜に、ひっそりと湖を渡っていく諏訪の神様の伝承はなんともロマンチックです。 諏訪信仰に彩られた諏訪という町が私が大好きなのです。 機会が会ったら、皆様もぜひ。 ただ、諏訪の真夏は暑いです・・・ (終わり)
戦国時代の諏訪信仰 ―失われた感性・習俗― [新典社新書]

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  • 作者: 笹本 正治
  • 出版社/メーカー: 新典社
  • 発売日: 2008/04/23
  • メディア: 新書