類聚メモ帳PART2

更新はすごい不定期です。

北浦に架かる橋のこと

今考えると、不思議なことですが、小中学生の頃はなぜかとんでもなく学校が嫌いで、休日が待ち遠しいものでした。それが例えば台風なんかが来て、臨時休校になったら日には本当に嬉しく感じたものでした。 そうなると台風なんかが接近してくると、NHKのニュースをじっと見つめて、休校の基準となる「大雨洪水警報」の発令を待っていたものでした。ここまでは前置きで、本題はここから始まります。そうして昔からニュースの警報の情報のところで、よく茨城県の欄に「鹿行地方」という地域が出てきたのを小中学生ながら「変わった名前だなぁ」と思っていたのを覚えています。 難読ですが、「鹿行」は「ろっこう」と読みます。大人になってから、調べてみると鹿行とは「鹿島郡」と「行方郡(なめがたぐん、これも難読ですね)」の2つの郡からなる地方であることがわかりました。位置としては太平洋(鹿島灘)と霞ヶ浦に挟まれた南北に細長い地域を指し、間に北浦があります。市町村合併が進んだ結果、両郡とも消滅してしまいましたが、茨城県鹿嶋市鉾田市神栖市(旧鹿島郡)と潮来市行方市(行方郡)がこれにあたります。
大きな地図で見る この前、偶然このあたりの航空写真をYahooの地図で見ていると、あることに気づきました。 というのも、この鹿行地方の北浦の真ん中に鹿行大橋という橋が架かっています。国道354号線の橋で、西側の行方郡と東側の鹿島郡を結んでいますので、まさに鹿行大橋なわけです。この橋は昭和43年(1966)に架けられ、1.5車線のような幅で、待避レーンですれ違いをしなければならないような狭い橋であったそうです。 この橋は昨年の震災で、一部が崩落し、走行中の車両が転落、一人が亡くなっています。 当該地をYahooの地図の航空写真で見ると、震災前に撮影されたもので、崩落前の橋が写っています。 map.jpg 写真を見ると鹿行大橋の横に、新しい橋の建設が進んでいるのがわかります。 実は震災前から老朽化した鹿行大橋の架け替え工事が行われていたのでした。 この新橋の建設は、旧橋の崩落を受けて今年4月に前倒しして開通という運びとなりました。 対してgoogleMapの航空写真では、震災後の写真となっています。
大きな地図で見る 道路の舗装などはまだですが、見る限り橋自体は完成しているようです。 二つの地図を比較すると、震災前と震災後が比較できます。 その他、いろいろ見てもYahooの地図よりもGoogleMapの方は頻繁に更新するようです。 あまり注目されていなかった北浦の落橋事故ですが、たまたま見たYahooの地図から、それを見てとると、どこか悲しい気持ちがしてきます。亡くなられた方のご冥福をお祈りします。